「自分が思ってるより、傷ついていた」と気づけたのかも知れない
まさか自分が、
『そんな大層なほどに傷ついてるわけがない。』
そう思っていて、どこかで自分の心と向き合うことを避け続けてきた気がした。
最近は、友人とそんな話をしていたのが印象的だったなぁと思う。
....
わたしから見たその友人Mは、活発でコミュ力が高くて、空気を読みながらも気配りも細やかで、一見すると”傷つく”とか”こころの傷”とはあまり縁がないように見えた。
だけど、前に「転職とかこれからの生き方について悩んでる。」と相談してきてくれたときに話を聴いていると、段々と内省的な話になっていき、友人Mは「自分と向き合わずに生きてきた。」と自負していた。
それを聴いてわたしは、『Mのような人でも、自分が傷ついてきたことから目を逸らし続けてきたという実感があるんだ!』と驚いた記憶があった。
そんなMを見て、
「人は、当人が思うより傷ついていることが大いにあるんだなぁ・・・」
と気づいたと同時に、自分を振り返った。
すると、
「自分は、自分が思ってたより傷ついていた。」ということに気付いたのだ。
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かくいうわたしは、自分と向き合う為の講座を1年間ほど受けていた。
『無意識を知れば、人生が変わる/由佐美加子 著』の本の著者が行っている、無意識を知るための講座だ。
人一倍向き合おうとしてきたつもりだったが、自分の感情に鈍感なクセはなかなか変わらないと感じていた。
「向き合いたいと頭では思っていても、素直に体が動いてくれない。」ということがあるんだなぁと思うばかりだった。
『そんな大層なほどに傷ついてるわけがない。』と思っていたのは、ほんとうは、「他人に自分を開示させないための思い込みだったのでは。」と今では予感している。
だから、自己開示ないしは自己受容を嫌がる自分を変える為にも、身近なコミュニティでも、良きタイミングで、自己開示をしておきたいなと思っている。
...
カラダの傷は、ちゃんと療養期間が設けられるが、
こころの傷は、どうして療養期間が設けられないのだろうか。
骨折だと数ヶ月で治る見込みが立つのに対して、こころの傷の治る見込みが立たないのはなぜだろう。
治療法がある程度確立されている体の傷は、こころの傷と比較すると、治りが早くなるのは必然ではないだろうか。
そして同時に、
社会的にも、こころの傷は度外視されてきたこともあるだろう。
故に、私たちが自分のこころの傷に鈍感なのも頷ける。
...
私は、自分がここ1~2年程、
「生きたいとも死にたいとも思わない。」
「自分の人生に興味を持てない。」
という状態がしばらく続いた。
そして、そう感じている自分のことすらも俯瞰して何も感じない状態が続いた。
今の私は「自分が思っているより、自分が傷ついていたから、回復する時間が必要だった。」ということに、頭だけでなく体感を含めての気づきを、やっと得られた気がしている。
…
だから、きっとわたしは今も、回復期間中なのだろうなと自分では思っている!
ふとしたときに心が痛くなって一人で泣くということも去年まではしばしばあった。なぜ涙が出るのかは明瞭には分からず、涙が出る理由は、すべて後付けに思えた。
涙が出るのに理由(背景)があるとしたら、とにかく過去の痛みも次いだ何かが沸き起こって痛かったんだろうと思ってる。
きっと誰しもそういうものは抱いているのかもしれないとも思う。
人それぞれなので抱いていない人もいるだろう。
だけど、自分がいちばん自分の事を知っているのだから、「どうしたら自分がこころの傷に気付かないか。」といったことも自分がいちばんよく解ってるはずだ。
だから、これをたまたま読んで気づいた人は特に、自分を疑い続けて欲しい。
「本当にそれほど傷ついていないの?」
そんな人に、特に自分がこう問いたいなと思った。
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