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かっこいい彼女と、恥ずかしいわたし

ただのOLを何年か続けていると、ふつふつと浮かんでくる、「手に職が欲しい」という思い。
以前までは実際に手に職を持って、たとえば資格職で働く人たちに向かってそれを簡単に言ってしまっていたけれど、今はそんな自分を心の底から恥ずかしく思う。



ネイリスト(の卵?)の友人の、ネイルの試験にモデルとして同行することになった。
彼女の夢を応援したい、そんな気持ちから引き受けて。試験が終わった今日、努力することの少なかった自分の人生を振り返って落ち込んだ。

彼女は、ずっと努力を続けてきた人だった。


今回彼女が受けたネイルの試験は、決められた時間内に所定の施術を行い、その完成度で合否が決まるもの。

わたしがモデルに決まり、練習をはじめた最初の頃は時間内に終わることも難しく、施術も不十分なところがあって。大変だなあ、と見ているだけのわたしは他人事のように思っていた。

けれど練習の毎に手際がよくなり、施術も迷いなく正確に、丁寧に行われていく。彼女が日頃どれだけ練習し、努力していたかは聞かなくとも会話の端々から読みとれた。

本番当日も、周りの受験生が忙しなく施術を進めていくのに対し、彼女はあくまでも自分のペースを守り、施術を進めていた。
マイペースなわけでも、施術が遅いわけでもない。何度も何度も練習を重ねていたから、無理して急ぐ必要がなかったのだ。自分が何をどのくらいのペースで進めるとどのくらい時間がかかるのか、彼女はしっかり把握しているようだった。

そしてネイルが乾いていない爪を触ってしまって跡をつけるという、わたしの最低最悪のミスも、短い時間内で見事にリカバリーしてみせたのだ。



「本番で100%の力は出せない、せいぜい出せて6割くらい。だからその6割で合格できるようにしなきゃ」

元々美容師をしている彼女の言葉には、重みがあった。

資格や手に職を持って働く多くの人は、想像もつかないくらいの努力をしている。「カリスマ」「天才」なんて呼ばれる人もいるけれど、その人たちだってきっと、例外ではない。
友だちと遊びたい日だってあっただろう。疲れて一秒でも早く寝たい日や、何もしたくない日だってあったはず。

それでも、自分の技術やスキルを磨くため、一心不乱に手を動かす。

わたしはそんな彼女を目の前にして、必死に努力したことのない自分の人生を恥ずかしく思った。それなのに「手に職が欲しい」なんて、どの口が言えたのだろう。



いまわたしは、文章と、英語を頑張りたい。技術とスキルを身につけたい。なのにnoteを毎日更新するのがやっとで、英語の勉強まではとても手が回らない日々。

以前とあるライターさんは、修行時代、月に100本以上の記事を書いたと言っていた。TOEICだって、勉強した時間数と点数はある程度比例する。つまり、技術を身につけるにはまず、圧倒的な量の練習が必要ということ。

その圧倒的な量のことを、世の中は努力と呼ぶのだろう。

かっこ良かった。彼女は。
恥ずかしかった。わたしは。



知ってるよ。
努力したら報われるわけじゃない、報われるまで努力し続けるだけだってこと。
努力することは辛くてしんどくて面倒くさいけれど、遠くに手を伸ばすための手段だってこと。

今までは年上の憧れの人に憧れていただけだった。でもね、いつのまにかわたしも、憧れの人が一歩踏み出した年齢になってきたよ。

わたしだって、かっこいいわたしになってみたいの。



目をつぶっても思い浮かぶ、彼女がネイルを塗る姿。それを思い出したら、わたしも少し、踏み出せる気がしたんだ。



世界はそれを愛と呼ぶんだぜ