自分の幸せなんて祈れないよ
今日、友人に誘われてマインドフルネス(瞑想)のワークショップに行った。
色々と考えさせられることが多くて、noteに書きたいことはたくさんできたのだけれど、今日はまず一番印象に残ったこと、呼吸瞑想について書きたい。
たぶん瞑想には色々なやり方があると思う。
今回わたしが教わったのは、こんな感じだ。
ゆっくりと目を閉じ、持てる意識のすべてを呼吸に集中させる。
しばらくして呼吸と心が整ったら、大切な人の笑顔を思い浮かべて、心の中でこう呟くのだ。
「あなたが幸せになれますように」
「あなたが健康でいられますように」
「あなたが安全でありますように」
「あなたが心安らかに暮らせますように」
思い浮かべたのは、彼のこと。
あなたが、幸せならそれだけで嬉しいな。
いつも遅くまで働いているから、心配だよ。
酔っ払ってもちゃんとお家に帰るんだよ。
わたしが伝えるたくさんの「好き」が、あなたの生活を少しでも支えられますように。
ありふれた言葉だというのに、わたしは普段から大切な人にそう願ってやまないというのに。いざ、呼吸と心を整えて呟くと、目をつぶっていても涙が溢れそうになることに気づいた。
胸がいっぱいになりながら、心の中で大切な人への言葉を繰り返す。
すると瞑想は、先生の言葉によって次の段階へと進んだ。
「今度は、今の言葉を自分に向けて、呟いてみてください」
・・・え?
言葉に、詰まってしまった。
「わたしが幸せになれますように」
自分に向かって、そんなこと言えない。
なぜか怖くなって、先ほどとは違う涙が溢れた。
それ以外の言葉は言えた。健康になれますように、安全でありますように、心安らかに暮らせますように。でも、その言葉だけは、どうしても心から言うことができなかった。
これは、自己肯定感が低い人によくみられる傾向らしい。自己肯定感が低い人は、大切な人の幸せを祈ったあとでないと、自分の幸せを祈れない(それでもうまく祈れない、わたしのような人間もいる)。
自己肯定感の強い人は、まず自分の幸せを祈ったあと、大切な人の幸せを祈るのだそうだ。
自己肯定感が低いなんて、今に始まったことではないしわかりきっていたことだけれど、悲しくなった。
わたしは常々「自分を幸せにするのも不幸にするのと自分だ」と思っているし、「どんな道を選んでも、その道を正解にしていく」という価値観で生きている。
そんなふうに思っているくせに、自分の幸せも祈ることができないなんて。そっちのほうが先じゃないか。わたしは自分の幸せを祈れないから、どうしたら幸せになれるのかと足掻いていただけなのかもしれない。
悲しいけれど、情けないけれど、これはひとつの気付きとして、大切にしていこう。
気付けただけ、わたしはラッキーだ、きっと。ここで気付けたぶん、幸せに近づけたのだ。立派な足掻き。そんなふうに考えよう。
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ