世界を優しくしていくのは、わたしたち。
犬も歩けば世界遺産に出会う、昼下がりのローマの街。あるトラットリアで、わたしはすっかり落ち込んでいた。
トリップアドバイザーで見つけた、おいしそうなトラットリア(気軽に入れるレストランみたいなもの)。ちょうどお腹がペコペコだったので、引き寄せられるようにお店に入った。
それがたぶん、30分ほど前の話。
わたしのテーブルの上には、最初からセッティングしてあったナイフとフォークがあるだけ。注文をするどころか、メニューも置かれていない。
わたしは完全に、ウェイターさんから忘れられていた。
カタコトの英語で、お店に入るときにテーブルへ案内してくれたウェイターさんに何度か話しかけた。けれど帰ってくる言葉は「今行くから待ってて」。その言葉を信じて待ってはみたけれど、忙しそうにフロアを行ったり来たりするウェイターさんがわたしのテーブルに寄る気配はない。
他のウェイターさんに話しかけても「僕の担当じゃないから」。・・・。そういえば、イタリアのトラットリアには最初に案内してくれたウェイターさんが注文から会計まですべてしてくれる、そんなルールがあったような。
喉乾いたな。お腹、空いたな。
海外の飲食店では、日本のようにお冷やをサービスしてはくれない。すべて注文してお金を払うシステムだ。
周りのテーブルの人たちは、おいしそうにピザやパスタを食べている。いいな。なんでわたしだけ、忘れられちゃってるんだろう。ひとりだからかなあ。
永遠の都と呼ばれるローマの街で、楽しそうにおいしそうにランチを食べる人たち。絵になるなあ。その中でひとりぼっち、言葉もよくわからない異国の街で、誰にも気付かれずお腹を空かせて俯くわたし。なんて情けない。
あと5分。5分だけ待ったら、店を出よう。それ以上待っても、ウェイターさんは来てくれないだろうし。ほかのお店を探そう。
そんなふうに考えていた時、ふと右隣の席の人から声がかかった。
「何も食べないの?どうしたんだい?」
腕や顔に刺青がたくさんあって、ちょっと強面な隣のお兄さんたち。ずっと座っているだけのわたしを気にして話しかけてくれた。
気づいてもらえた。ウェイターさんに何度話しかけても忘れられていたのに。
あまりの嬉しさに緊張感の糸が切れたわたしの目から、ぽろっと涙が落ちる。慌てるお兄さんたち。
すると今度は左隣のこんがり日焼けした肌のマダムたちが、声をかけてくれた。
拙い英語で、今の状況を説明するわたし。マダムたちはわたしの分の注文をしてくれたばかりか、「お腹すいたでしょ」と言って自分たちが頼んだコーラとライスボールを分けてくれた。
本当はコーラなんて大嫌いで、普段は頼まれても飲みたくないと思っているわたし。
でもそのときははじける炭酸がわたしの緊張を解きほぐし、コーラの甘さが体じゅうにじんわりと染み込んだ。初めておいしいと思えるコーラだった。
ライスボールも、それだけで充分というくらいお腹が膨れておいしかった。
しばらくするとウェイターさんが謝りながらピザを運んできてくれた。わたしは強面のお兄さんたちとマダムたちに精一杯のお礼をいい、焼きたてのピザを頬張った。
***
たぶんお兄さんやマダムたちに声をかけてもらえなかったら、わたしはそのままお店を後にしていただろう。
英語ができない自分にも非はあるのに、たったそれだけのことでローマや、イタリアの華やかな記憶を塗りつぶしてしまっていたかもしれない。
お兄さんたち、強面だけどいい人だったなあ。
マダムたちも本当に優しかった。
わたしの旅は、たくさんの人の優しさの上で成り立っているんだな。それならわたしも、その優しさを世界に繋いでいかなければ。
それからわたしは、日本で困っている外国人に、自分から声をかけるようになった。未だに英語は得意じゃないけれど、伝えようとする気持ちがあれば、伝えることができる。
何より声をかけたときに外国人の人たちが見せる、少しほっとした表情。あのトラットリアでのわたしも、きっと同じ顔をしていたのだろう。あのときのわたしのように、異国の地で心細い気持ちを抱えている人を少しでも減らしたかった。
道案内ができないなら、その場所まで一緒に歩けばいい。
バス停がわからないなら、一緒に探せばいい。
日本で暮らす日本人のわたしにとっては、なんにも難しいことじゃないのだから。
わたしがローマで助けてもらったように、わたしも誰かを助けて、優しさの輪を繋いでいかなければならないのだから。
世界は優しいわけじゃない。わたしたちが優しい世界にしていくんだ。
***
今日もスーパーで、欲しい冷凍食品が見つからない、と声をかけられたので一緒に探しました。
一通り探してもなかったからもしかして、と思い生鮮食品のコーナーに行ったら、その近くに置いてありました。
見つけられて良かった!
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ