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闘い続ける恋の話【ポルノグラフィティ/東京ドーム2days】

9月7日、大好なポルノグラフィティの東京ドーム公演の初日。朝起きたわたしは、「行きたくないな」と寝ぼけまなこに思って二度寝をした。

本心だった。

単純に、終わってほしくなかったという気持ちもある。
けれどそれ以上に、ライヴが終わったそのあと、自分がどうなってしまうかわからなくて怖かった。
ポルノグラフィティは良くも悪くもわたしの感情のすべてを握っていて、彼らの何気ない一言や一曲一曲で、わたしは勝手にどん底に落ちたり世界で一番幸せな人間になれたりする。ライヴ映えして楽しめる曲ならいいけれど、落ち込んでいるときによく聞くダウナーな曲や身を切るような失恋ソングを歌われると、わたしの心はボロボロになってしまうんだ。

だから本当に怖かった。

横浜アリーナで東京ドーム公演の発表を聞いたときは嬉しくて嬉しくてたまらなくて、東京ドームを満員にするために古参のファンを集めてチケットを取った。でも、その日が近づく度に怖くて仕方なかった。本人たちが「両日共に❝神だった❞と言われるセットリストで臨む」と公言していたから尚更。

一人で行くことにしなくて良かった、と心から思った。一緒に行く誰かがいれば、行かざるを得ない。


そんなふうに東京ドームを目指したのはきっと、わたしだけだったろうな。好きなものを、人を、もっとまっすぐ純粋に愛したかったのに。舌先離れない愛の言葉は、苦いだけ。
なんだかポルノに申し訳なくて、期待に満ちた表情でドームまでの道をゆくファンとは裏腹に、破裂しそうな心を抱えて歩いた。



***


肝心なライヴの詳細については、たくさんの人が綿密なライヴレポートを書いているのでそれを参考にしてほしい。
正直ライヴ中は衝撃が大きすぎて、同行した友人とともに意識不明の重体に陥っていた。終演後に居酒屋に行ったときも、しばらく会話をすることがままならなかったほど。(後に別の友人から「愛し方が特殊すぎる」と言われた、返す言葉がない)


「あのロッカー、まだ闘ってっかな?」で始まり、終わるライヴを、心のどこかでずっと待っていた気がする。

プッシュプレイは、今回のライヴで聞きたいなあ、と思っていた曲のひとつで。東京ドームで「あのロッカー、まだ闘ってっかな?」なんて歌われたら、わたしはどうしようもなくなってしまうだろうな、と思っていた。


だから昭仁さんのゆっくりとした歌い出しと、それに重なる晴一さんのコーラスがドーム中に響いた瞬間、叫んで、泣いた。「あのロッカー、まだ闘ってっかな?」と言うフレーズがスクリーンに映し出されたとき、あぁ、ポルノだ。これがわたしの大好きなポルノグラフィティだ。Purple'sのボタンが、再び押されたんだ。

そう思って、気付いたときには拳を振り上げて狂喜の声を上げていた。



1曲目がプッシュプレイだったから予想はついていたけれど、やっぱり本編ラストの曲はVSだった。サビに差し掛かると、今まで暗かった会場の照明が一気に明るくなる。

そうかあの日の僕は今日を見ていたのかな こんなにも晴れ渡ってる

歌詞につられて見渡すとそこには、ドームを埋め尽くす観客の姿。みな同じように手を振り、晴れ渡った景色だった。

これがきっと、ポルノグラフィティが大阪の小さなアパート時代から夢見ていた景色で、それはいつのまにか、わたしの夢にもなっていた。わたしの夢は、ポルノグラフィティが夢見ていた景色を共に見ること、そしてポルノグラフィティが夢見ていた景色のひとつになることだったんだ。


あの少年よ こっちも闘ってんだよ

ポルノグラフィティはデビュー20年経った今も、ずっとずっと闘い続けている。だから今がある。

10年前の東京ドームは、会場の雰囲気にどこか圧されていたね。チケットは完売できなかったし、東京ドームという偉大な場所で、お互いに妙に緊張してしまって、もちろんあの時はあの時で一歩も退かずに闘っていて良いライヴだったけれど、どこか焦っていたような気がする。

でも今回はどうだ。10年前に埋まらなかった東京ドームに、2daysという挑戦。「埋まるかわからないから友だち25人連れてきて」と言える素直さも、「両日共に異なる、神セトリにする」と公言する勇気も、かつてない挑戦だったと思う。闘いだったと思う。

だから、そんなふうに戦い続けてくれる姿を見せてくれるから、わたしはポルノグラフィティを信じられるし、彼らの言葉や音楽は、いつだってわたしの胸を打つ。



そしてVSの終わり、リフレインする、あのフレーズ。

あのロッカー、まだ闘ってっかな?

そんな答え合わせなんてもう、必要ないよ。今この空間が、東京ドームにある景色が、すべて。

「調子に乗っていたときも上手くいったときも辛い時も苦しいときもあったけれど、それらすべて、正解だったということにしてもいいですか?正解にしてくれますか?」

そう、晴一さんは言った。そんなこと聞くの、ずるい。

わたしみたいな拗らせたファンもいるけれど、たったひとつの音にこめられた真実が今、ここにあるよ。

全部ぜんぶ、闘ってたよ。宛名のない手紙を書きながら、乾いた雑巾を振り絞りながら奏で続けた音楽は、ひとつ残さず、わたしたちの肩に止まっているから。だからポルノは今ここに立っているんだよ。



「ライヴに行きたくないな」は確かに本心で、でも行ったら絶対に楽しくて楽しくて仕方がないことも、本当はちゃんとわかっていた。

ただ好きなだけなのに、上手く表現できずに、ポルノグラフィティから距離を置いたこともあった。でも結局、戻ってきた。


わたしの、ポルノグラフィティに対する感情は、限りなく恋なんだ。


ライヴの前半、プッシュプレイでめちゃくちゃになった心に、ぐさりと刺さった、メリッサとTHE DAY。
この曲を聞いているとき、わたしの頭の中は「恋は罪悪だ」という言葉でいっぱいになった。何を言ってるんだ、と思われてもしょうがない、でも本当に心の底から、「恋は罪悪だ」と思った。

そのときにやっと、わたしはポルノグラフィティに恋をしているのだと気づいた。10年以上も、ずっとずっと、わたしはポルノグラフィティに恋をしていたのだ。


そう認識した瞬間、すべての辻褄が合った気がした。

曲を聞くだけで心がボロボロになってしまうのは、恋だから。
好きすぎて辛いのも、恋だから。
距離を置きたくなったのも、やっぱり会いたくなって戻ってきてしまったのも、ライヴに行く度に頑張って生きようと思えるのも全部、恋だからだ。

わたしはいつか彼らの音楽が止む瞬間を見届けて、この恋を終わらせるために、ファンとして戻ってきたんだ。


罪悪だ、なんて思ってしまって、まっすぐに愛せなくて、ごめんなさい。ただ認めるのが、怖かっただけ。恋だって、自分で認められたから、今は前より素直に好きと言えるようになったよ。



だいぶ色々と拗らせてしまったけれど、この恋の根本はポルノグラフィティの音楽が好きという気持ち、ただそれだけで。

いつもわたしの核心をつき、拾いあげ救いあげてくれる音楽を歌い続けてくれて、本当にありがとう。

「嘘でも前に」「自信持っていけ」「胸張っていけ」シンプルだけど、世界で一番、勇気をもらえる言葉だ。ふたりがそう言っていると思うだけで、わたしは足を踏み出せる。闘うことができる。

信じてみるよ。わたしは、ポルノグラフィティを信じる。それは、自分を信じることにも繋がる。

いつか信じて闘い続けた世界で、晴れわたる景色に出会えたとしたら、東京ドームでのかけがえのないあの時間を、思い出すのだろうな。




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