「頑張らない」という選択肢をなくす
昨日からずっと、「頑張ること」とか「努力」について考えている。
頑張るとか努力に、明確な基準はなくて。それは、人によって違う。だからたとえわたしが頑張ってると思っていなくとも、側からみれば頑張ってるように見えることは、たくさんある。まあ、逆もしかりだけれど。
わたしは、自分で自分が頑張ってる、と言える状態は、頑張ってるうちには入らないような気がしている。実際、わたしがそうだからだ。
たとえば仕事について、正直わたしは全然頑張ってなんかいない。自分のできること・すべきことをやっているだけなのに、周りからは「頑張っている」と評価されている(府に落ちない)。
noteの毎日更新だってそう。頑張っていない、というとそれは嘘になるけれど。
なんか、なんだろうな、でもそういうのって「頑張る」とはまた違うんだ。やるしかないから。頑張る・頑張らない、という選択肢はとうの昔に消え去っていて、目の前のことにただ打ち込む以外に方法がないんだ。それは自分を追い込むこととは違う。
仕事に対して、頑張っていると評価されることは全く府に落ちないけれど、そう思うと納得できる。
noteだってそう。もはや、書かないという選択肢はわたしにはない。
今日から始めた、英語日記。今はまだ「頑張ろう」の状態。やらない、という選択肢が、まだある。これから続けていく中で、その選択肢をなくさなきゃね。身につけたいなら、頑張らない、という選択肢は最初からないのだから。
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