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イスラエルへの憧れ

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」

これは私が愛してやまない作家、西加奈子先生の直木賞受賞作『サラバ!』に出てくる名言だ。

 私は典型的な日本の無宗教者だ。特定の何かを信仰したり、誰かの言葉を生き方の指針にしたりはしていない。でもお正月は初詣に行くし、クリスマスも祝うし、家の仏壇に炊き立てのご飯をお供えして、差別や貧困のない世界になることを祈って合掌もする。知識があるかないかは別にして、それぞれの良い所だけを自分達の生活に丁度よく取り入れているから、争いや憎悪を生み出すことも(私が知る限りでは)ない。これは日本の良いところだと思う。

 その生温い状態に浸かってきたからなのか、宗教にとてつもなく興味を持つようになった。
 きっかけは東南アジアを旅した時。日本とは全く違う仏教の在り方に「?」が止まらなかった。オレンジや暗い朱色の袈裟を着た僧侶たち、一生懸命に拝む参拝者たち。何かを信じるというのは、どんな感じなのだろう?辛い時、それを信じることによって救われたりするのだろうか?

 世界で一番信者数が多いキリスト教はユダヤ教の一派として始まったということを、恥ずかしながら興味を持って初めて知ったので、まずは手始めにユダヤ教から勉強することにした。あれよ、あれよとその歴史の深さに引き込まれていくと同時に、いつどこに行っても迫害され、住んでいる場所を追いやられ、それでもコミュニティを絶やさずに守り続けてきたユダヤ人に対して尊敬の念も抱くようになった。

 彼らの肩に乗った壮絶な歴史から漂ってくるのは、絶望や闇、一部の人は恨みを抱き続けていると思う。決して「ハッピー」なものではない。可笑しなことかもしれないが、何故だろう、それがとてつもなく魅力に感じるのだ。

 テレビの電源をつけるだけで、スマホを開くだけで垂れ流しにされる、この世の中に溢れるネガティビティには辟易してしまうものの、ネガティビティについて考えることで、この世を理解しようとしている。何故争いが起こるのか、何故命が奪われるのか。私は彼らのことを考えることによって、また何かを理解しようとしているのだと思う。ネガティビティに惹かれているのは、私のネガティビティだ。

 しかも、イスラエルにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の聖市とされるエルサレムがある。気の遠くなりそうなほど、遥か昔から正義や愚行が積み重なって出来た都市へ、それぞれの信仰心を持って世界中の人々がやってくる。ここまで混沌としている場所、他にあるか。
 
 世界一幸せな国と呼ばれるブータン、世界幸福度ランキングで常に上位にいるフィンランドやデンマーク、スイスなどの国にも、もちろん行ってみたい。そこに住む人たちはどんな考えで、どんな風に生活しているのかも気になる。でも、それはどちらかと言うとポジティビティにフォーカスされる。

 それよりも私は自分のネガティビティを、ネガティビティがどのように癒してくれるのか、それとも跡形もなく打ち消してくれるのか、ネガティビティ同士がどのような作用を引き起こすのかが知りたい。信じるものを持っている人たちが、ネガティビティとどのように折り合いをつけているのかを知りたい。それを教えてくれるのが、世界中にディアスポラしたユダヤ人が帰還したイスラエルだと思っている。暑くて乾いた砂漠の地へ早く行ってみたい。

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