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福島の円谷英二ミュージアム

打ち合わせを2件終え、昨日と同じ図書館へ。ボソボソ喋り声が聞こえるポールから、今日は「チュッ!夏パ〜ティ」のインスト版が聞こえる。久々にMVを見たら加護ちゃんがあまりにおぼこくて、めちゃくちゃかわいいけども手放しにかわいいと言うのも憚られる気がしてしまう。子どもすぎる。

図書館には円谷英二ミュージアムが併設されているので見て回る。

戦後の焼け野原が科学の力で急速に復興したけれど、科学の力は戦争時には人類に襲いかかる恐怖にもなる。その危うさを戦争を経験した当時の人たちは肌で感じており、そんな思いを乗せ、過ちを繰り返すまいという警鐘を込めたのが円谷英二たちが生み出した怪獣。

やなせたかしがアンパンマンに込めた「お腹が空いた人に食べ物を分け与えることが揺るがぬ正義」という思想もまた、やなせたかし自身の戦争経験によるもの。戦争を肯定するわけではないし、絶対に経験したくないけども、苛烈な経験がベースにあるクリエイターの深みはとてつもない。

円谷監督は飛行機が好きで、でも飛行学校とは縁がなく、おもちゃメーカーに就職。特撮にひかれた根底には、飛行機への憧れがあるのかもしれない。

映画の世界に入ったきっかけは、お花見。喧嘩沙汰が起き、仲裁した18歳の円谷英二に感心した撮影技師が映画の世界に円谷英二を誘う。何回も同じようなことを書いているけど、何がきっかけになるかは本当にわからない。外に出て、コスパや効率以外のこともした方が結果的に可能性は広がる。

日本で特撮技術が進歩した大きなきっかけは戦争。プロパガンダ映画を作るにあたり特撮技術が使われ、それが大衆映画としてヒットした。インターネットも魚群探知機も特撮映画も、全て戦争で発展したけれど、戦争は肯定できるものでは到底なく、でもそれら技術の恩恵を今の我々は受けているわけで、こんな皮肉な話があるかねと受け止め方に困ってしまう。

スケベそう

「ゴジラ」によって「特撮といえば円谷英二」という地位が不動のものになったのは51歳の時。アンパンマンがヒットした時のやなせたかしもたしか50代。わたしが51歳になるまであと13年あるわけで、こういう人たちの存在を知るとまだまだ何が起きるかわからないと明るい気持ちになれる。

英二の金言

円谷監督とのエピソードとして「その撮り方して楽しいか?と問われた」というのが示唆に富んでいた。今は生成AIで大抵のものが作れてしまうけど、それが楽しいかは別の話。楽しいと思うからより良いものを作りたい気持ちが芽生え、それがあるから良い作品になるのであり、作り手の「楽しい」がAI時代は改めて問われるような気がしている。

昔の特撮現場
適当でもそれっぽく撮れる

円谷英二はリアリティを追求した人でもあったらしい。宇宙ステーションや武器など、綿密に調査資料を集めて描いていたとあり、「子どもたちに嘘を教えるわけにはいかない」と精緻な恐竜の絵を描いていた藤子・F・不二雄先生を思い出す。

子どもたちのことを一番に考えて作品を作っていたのは円谷英二もどうやら同じ。円谷監督とウルトラマンが向き合った写真を見たファンからの「監督はウルトラマンになんて言ったの?」という質問に対する、ウルトラマンの答えがすてきだった。

こどもたちに夢を持たせるような仕事をしなさい、と言われたんだよ。私自身もこどもたちが応援してくれたから、つらいことがあっても、ウルトラマンを続けられたんだ。

ウルトラマンにもゴジラにも特撮にも興味はなく、「モスラ〜やモスラ〜」の歌しか知らないけど、ただかっこいいヒーローや迫力ある怪獣を撮ったのではなく、背景に思想や信念があることを知って円谷英二への興味が俄然湧いた。自伝とか読んでみたい。

昨日バーでおすすめされたラーメンかなりおいしい

図書館には学生たちがたくさん。広々と開放的で、テラスもあり、本棚や選書には意思を感じる。とても良い図書館だと思う。

テラスより

仕事中、編集部の子からうれしい共有があった。バズるよりこういうのが本当にうれしい。わたしがやりがいを感じる瞬間。

帰り道、例のポールからはプリティ・ウーマンの主題歌が流れていた。どういう選曲なんだろう。モスラの歌流せばいいのに、と思ったけど、哀愁漂ってしまうからあまり良くないかもしれない。

妹から「あまどころ」という親近感が湧く名前の植物があるという連絡が来る。その流れでさまざまな業態に当てはめ、最終的に「喫茶あまどころ」に決まった。何が決まったのかはわからない。

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