長崎は歴史を知ればより楽しい
6時前に目覚め、8時ごろ眠くなり、10時に起きる。フリーランスで本当によかった。
一仕事終えてお昼ごはんは昨日休業していたお目当てのお店に再チャレンジ。迫力ある皿うどんで、これは一生食べ終わらないかもしれないと思いながら食べ始め、順当に食べ終えた。薄々気づいていたが、わたしはそこそこ量を食べられる。
そのまま散歩がてら長崎歴史文化博物館へ。沖縄で歴史を知るとよりその土地が面白くなることを知ったので長崎でも歴史チャレンジ。
道中にはシーボルトの桜なるものがあった。ちょうど皿うどんのお店で読んでいた長崎の本にシーボルトのことが書いてあった。医師で、植物に興味があって、おそらく純粋な気持ちで研究をしていたのにスパイ容疑をかけられてしまったシーボルト。
そんな説明を読んだ直後だから、シーボルトの桜にちゃんと興味が持てる。やはり知っていることが多ければ楽しいことも増える。素通りしていた景色に意味が生まる。
博物館のあたりは「長崎は坂が多い」を実感できる。坂の上の方に住んでいる人はさぞ健脚なのであろう。学生さんは自転車通学より徒歩の方が楽な気もする。それとも麓に自転車を置いていたりするんだろうか。
博物館では長崎がかつて日本と外国をつなぐ貿易の要であったことがよくわかった。
13世紀くらいまでは福岡が日本の主要貿易都市で、長崎は1550年あたりにポルトガル船が入港したことをきっかけに貿易の窓口になり、鎖国の時も長崎だけは外国との関わりがあった、という教科書の歴史をおさらい。ベンチに座って映像を眺めながら少し寝る。食後は眠い。
学生時代は歴史に興味がなく成績も振るわなかったが、なぜあんなに面白くなかったんだろう。幕末からの近代史は好きだったから、それ以前は自分から遠すぎて想像が及ばなかったのだろうか。歴史の教科書、今なら楽しく読めそうなのに。
潜伏キリシタンとかくれキリシタンの違いも初めて知った。というか、潜伏キリシタンという言葉は知らなかった。
キリスト教が禁じられた時代にこっそり信仰していた人たちを潜伏キリシタン、潜伏していた頃に独自に発展を遂げた信仰スタイルをそのまま続けている人たちをかくれキリシタンと呼ぶらしい。わたしは潜伏キリシタンをかくれキリシタンと習ったけど、今の教科書は違うんだろうか。
なお、かくれキリシタンの人数は年々減っているものの、今でも1000人ほどがかくれキリシタンとして存在しているとのこと。
帰り道、目星をつけていた近くの喫茶店に立ち寄るも休業。結局中華街で胡麻団子を食べて帰宅。
おうちの近くの銭湯へ向かっていると、途中に中華な雰囲気の建物。中国の博物館だった。
長崎はポルトガルとオランダと中国との交流が盛んで、鎖国時に国内をうろうろしないように中国人が生活する唐人屋敷を作ったと先ほど学んだばかり。だからこういう施設があるし、少しでも背景がわかれば街歩きも楽しい。
対馬は朝鮮、薩摩は琉球とそれぞれ関係が深かったと書いてあったことも思い出す。暖かくなったら鹿児島に行きたいと思っているので、ちゃんと覚えておきたい。
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