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ドラゴンボール22〜24巻と、35巻の思い出

人生で初めて死ぬほどハマったものは、漫画のドラゴンボールだった。

あれはたぶん、小学3年生か4年生の夏。年に数回しか会えない、遠方に住んでいる友達が泊まりに来たとき、彼女が偶然持ってきた22、23、24巻との出会いがきっかけだった。

当時のドラゴンボールは、ジャンプでの連載最終回を迎えたかどうかくらいの時期で、テレビではドラゴンボールZが放送中だった。小さいトランクスと悟天がいたから、すでにブウ編。

ただ、わたしはアニメも漫画も見ていなかった。悟空やかめはめ波、スーパーサイヤ人など、断片的な知識はあったものの、ドラゴンボールのストーリーは全く知らない。

それなのに、突然の22、23、24巻を夢中で読んだ。ものすごい中途半端なところから読み始めたのに、止まらなかった。久しぶりに会えた友達を思い切り無視して、繰り返し読み続けた。

母からは「せっかく〇〇ちゃんが遊びに来たのに」と言われたのを覚えている。その通りだと思う。でも止められなかった。

漫画の中では悟飯が大きなドラゴンボールを岩の影に隠しベジータに腹を蹴られ、クリリンは最長老さまに力を引き出されたことにうかれて空を駆け、リクームは無双してベジータをボコボコにし、悟空はギニューに体をチェンジされていた。

その後、わたしはドラゴンボールを1巻から集めていった。お小遣いには限りがあるから、主に古本。近所の小さな古本屋に通い詰め、少しづつ買い集めた。全42巻は、小学生には気が遠くなるような巻数だった。

ドラゴンボールが並んでいる本棚の裏だったか奥だったかには、エロ本が置いてあったのを覚えている。うわぁ〜とドキドキしながら、好奇心を抑え、平常心を装い、大人のコーナーを見ないようにお店の奥に進み、おじさんにお金を払った。

今はなきその古本屋で買ったドラゴンボールには、最後のページ右上に、鉛筆で小さく値段が書いてある。200円。当時のコミックスの定価は390円だった。まだ地元にブックオフはなかった。

どこにもない35巻

ひときわ思い出深いのは、ドラゴンボール35巻。地元にある全ての書店をかけずり回ったのに、35巻はどこにもなかった。「ここは本屋に分類されるのか?」と首を傾げたくなるようなお店やコンビニも合わせて、たしか12軒。

季節は、なんとなく夏だった気がする。汗だくになって書店を巡っていた。ということは、ドラゴンボールに出会ってから1年くらいたっていたのだろうか。

今ならネットで即手に入るし、大人だからまとめ買いもできる。フリーランスだから時間も自由。学校も、母親の「もう寝なさい」もない今なら、ドラゴンボール全42巻を集め、読破するのに3日とかからない。

読みたいものがすぐ手に入ることで受けている恩恵はたくさんあるし、不便な時代がよかったとは思わない。わたしは大人が楽しいし、小学生になんて絶対戻りたくない。

でも、あのときの強烈な「ほしい」の気持ちと、思うように手に入らないからこそ、手持ちのドラゴンボールを飽きもせず、狂ったように何度も何度も繰り返し、暗唱できるレベルまで読み込みながら続きを想像していたあの熱狂は、もう二度と自分には訪れないんだろうなと思う。

ボロボロの35巻

しばらく毎日のように12軒のお店を巡回したけど、35巻は全然見つからず、しかたなく36巻を先に買った。何が起きたかわからないままセル編は終わり、悟空は死に、悟飯は高校生になっていた。

結局、35巻は小学校のバザーで母が見つけてくれた。カバーに折り目がたくさんついた、ボロボロの35巻。タダでいいと言われたらしいけど、申し訳ないからと10円で買ったそうだ。季節は秋になっていた。

切望していた35巻。一番ほしかったのに、わたしが買い集めたドラゴンボールの中でダントツに安くて、ひときわ汚い。折れ目を伸ばし重石を置いて、懸命に回復しようと頑張った。

空白だった35巻は特別で、今なお少し、違和感が残る。わたしの中で35巻は少し浮いているというか、独立しているというか、連続していない感じ。

セル再生後、スーパーサイヤ人2の体の周りに発生する稲妻的なものをまとい、「サイヤ人の細胞により自爆前よりも強い状態で再生したのだよ!」的なセリフを話すドヤ顔のセルのコマを、なぜだかめちゃくちゃ覚えている。

最初に出会ったドラゴンボール22、23、24巻のどこにあれほど惹かれたのか。前後の話を全く知らないのに夢中になって読んでいる自分に戸惑いながら、それでも読むのを止められなかった理由は何なのか。

今振り返っても、あの時の気持ちは全く説明ができない。好きとか面白いとか、そうとしか言えない。言語化できない強烈な感動だった。語彙力消失の初体験であり、わたしのオタクとしての原体験。

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