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小豆島からフェリーで豊島美術館へ

先日自転車で回った道をレンタカーで回る。手作りピカチュウは5体あった。あのシンプルな道でなぜわたしは2体見落としたのか。

フェリーで20分ほどの距離にある豊島へ行く。今日は強風かつ気温8℃とめちゃくちゃ寒い。穏やかな瀬戸内海に白波が立っている。

良い道

豊島美術館はインスタレーション作品が一つあるだけ。建物そのものが体験型の展示であり、いわゆる展示品はない。

床には小さな穴が開いていて、定期的にちょろっと水が湧き出る。床は撥水性が高く、ゆるい傾斜になっていて、湧き出た水は小さな水滴となって穴周辺にたまり、たまった水滴がくっついて大きな水滴になり、一定の大きさになると重さによって流れていき、最終的に大きな水たまりを作る。

言い換えるならば、穴から一定間隔でぷよぷよが一つ転がり出て、そのうちぷよぷよ同士がくっついて大きなぷよぷよになり、重さに耐えかねて坂を転がっていく、みたいな感じ。

いろいろなところから小さな水滴が湧き上がり、それが大きな水たまりに流れ落ちていく様は受精を連想させる。大きくなった水滴が尾を引いて流れる姿は映像で見た拡大された精子のようだった。

水滴はとてもきれいでずっと見ていられるが、建物には入り口が1つと天井に大きな穴が2つ開いており、寒さゆえにあまり長くは滞在できず。ミニチュアがあったら自宅に置きたい。

併設のカフェ

美術館のカフェにあったガイドブックによると、豊島は水が不足しがちな離島の中でも湧水が豊富な島であり、農作物もよく育つ文字通りの豊かな島だったが、20年前くらいまでは企業の不法投棄による汚染が深刻だったそう。

法整備によって不法投棄自体は収まったものの、全国的に「不法投棄の島」というイメージが強く残ってしまい、そこに一石を投じたのが豊島美術館。地域の自然と調和したアート作品を作ること、同時に地域を再生させ、不名誉なイメージを払拭することを大きな目的として掲げ、美術館建設とともに美術館周辺の棚田の耕作放棄地を再生。

棚田

つまりは美しい棚田の風景あってこその豊島美術館なのだという。こういう背景を知ると散歩が楽しい。

ただ、今日の気候は散歩に適さない。帰りのフェリーの時間まで周辺を散策するも強風と寒さにより早々に諦め、港へ向かう。

シンプルな注意書き

港の近くにやっていそうなカフェを見つけたので向かうも、看板にはcloseと書いてある。さてどうしようかとマップを見ていたら「やってますよ!」とお店の人が声をかけてくださった。強風により看板がひっくり返ってclose表示になってしまったそうな。

お店の人からわたしが乗る予定だった小型の旅客船が強風により運行中止になったことを聞く。あとでフェリー乗り場の人に聞いたら強風で運行中止になるのは台風の時くらいで、相当珍しいとのこと。おとなしくこのお店に腰を据える。

オリーブ豚の生姜麹焼きセット

お店の方は東京からの移住者。豊島で宿泊施設を運営する友達を訪れた際、カフェとかバーとかあればいいのにとぽろっとこぼしたことを覚えていた友達から「良い物件あるからやれば?」と後日言われたのが移住のきっかけ。

この1年でいろんな移住者の話を聞いてきたけど、この土地に移住するぞ!と決めて引っ越した人よりも、こういう小さなきっかけから移住した人の方が案外多い印象がある。

豊島は人口750人ほどで、彼女が住んでいるエリアは100人ほど。移住して5年くらいたつ今、地域の9割の人の顔と名前が一致するという。同じ地域の人とほぼ顔見知りな状態、全く想像がつかない。

「住みたいエリアがきまったらとりあえず空き家バンクに登録した方がいい。なぜなら物件をオープンにする前に登録者に直接連絡が行くから」「島に移住してリノべーションを業者に依頼する場合は木材の輸送費によってざっくり本土の1.5倍の費用がかかる」など、移住豆知識を教わった。

地域には図書館がないので、複数のお店に小さな本箱を置き、そこの本を住民みんなで読んでいる。その本箱がカフェにもあり、食事を終えてなおフェリーまで2時間もあるので本を読む。

あひるなど鳥類の一部は脳の左右を交互に休めることができ、ゆえに片目を開けて半分ずつ眠ることができるらしい。3列に並んでいるあひるが眠るとき、両側のあひるはそれぞれ列の外側の目を開けたまま眠るそう。渡り鳥が不眠不休で長距離を飛び続けられるのも脳を交互に眠らせているからという説があるという。

一番興味深かったのは震災に関する本。東日本大震災の30メートルを超える大津波は予想できなかったと学者は話すが、実は過去に同様の大津波が来た可能性はあり、そういう場所には津波らしきものを恐れる言い伝えが神社などを通じて、いわば土地の記憶として残っているのだという。

人間が自然を完璧に測ることはできないが、過去の歴史からその脅威を知ることはできるわけで、理論で全てを判断しようとする傲慢さを思う。先月の桜島でも大噴火の時に亡くなったのは理論を信じた知識人であったという説明を読んだ。日々自然と対峙している人々に、そうでない人々は敵わないことを忘れてはならない。

フェリー乗り場のチケット売りのおじいさんの祖父は勝鬨橋を作った人で、池袋のサンシャインシティのあたりに屋敷があったのだそう。一体何者。

小豆島に戻り、あまりにも寒かったので温泉に直行する。露天風呂では大学生くらいの女の子3人が「自分が浮気してフラれるのと、浮気されて別れるか別れないか自分で決められるのだったらどっちがいい?」という話をしていた。

それは問いとして成立しないのではと思っていたら、「自分が浮気してる時点で付き合ってる人に熱はないからフラれても何とも思わない」と女の子の1人が回答しており見事であった。

帰りにスーパーでビールを買ったらまさかの年齢確認で身分証明書の提示を求められた。生年月日を確認し、相手も気まずそうにしていた。10代なわけなかろうが。

おうちは宿泊者が増え、急ににぎやか。

豊島の健康マップ

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