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距離をとることで、愛を伝えられる関係。

最近ようやく両親と「ベタな家族の思い出」をつくれるようになってきた。この夏、私の両親と弟が私の住む町に遊びに来てくれた。夫や息子、家族みんなで地元屈指の映えスポットで写真を撮ったのだけれど、できあがった写真を手にしたときは感慨深いものがあった。

実家にいる時、私はとにかく苦しかった。毎日ハレーションを起こすようにピリピリと神経をとがらせ、憤っていた。それから一人暮らしをして、結婚して、少しずつ実家と距離が生まれると、ようやく「親孝行しようかな」「今暮らしてる場所の観光地を案内しようかな」ということを、肩の力を抜いて考えられるようになった。

誤解のないようにきちんと書いておきたいのだけれど、私は自分の家族が好きだ。両親と弟、四人で3LDKのマンションに住み、ぶつかることもあったけれど、仲良く暮らしていた。

けれど、私が高校生になったころから、部屋に入られるだけで内臓を見られてるような、黒板を爪でひっかく音を聞くような、理屈ではないゾワゾワが走るようになった。家族に対してそんな感情を持つことは申し訳ないと思いながらも、止めることはできなかった。

厄介だったのは、私自身「それでも家族とは近くで暮らさなければいけない」と思いこんでいたことだ。一人暮らしを始めたとき、通勤に片道一時間半かかっていたのに引っ越した先は実家の最寄り駅からたった3駅しか離れていない町だった。

弟は新卒の就職と同時に会社の近くにあっさりと引っ越した。対する私は「30歳になったら一人暮らしをしなさい」と母にきつく言われ、リミットの誕生日を過ぎてものらりくらりと何もせずにいたら母がキレ、おしりを蹴られるように家を出た。嫌だ不快だと言いながら、私は完全に家族に甘えていたのだ。

一人暮らしを経て夫と暮らすようになり、私はようやく自分の個の輪郭を認識できるようになった。それまでは、家族の意思や言葉がベッタリと体にまとわりついて、自由がきかなかった。親に言われたからにはそうしなければならない、きっと両親はこう思うだろうからこっちの道を選ぼう。私は両親が好きだったから、いい格好をしたかった。

ただ、「私の個」を認識してからは、うんと呼吸がしやすくなり、行動しやすくなった。私らしさというものを存分に発揮できるようになった。両親の目を気にせず、サッと好きなところにいける喜びや、苦しみ悩む姿を見せて心配されることのない安心も、私の心に平安をもたらした。

距離が近すぎることで、苦しくなる関係はある。そしてそれは相手はなんとも思っておらず、自分だけが持つ感覚かもしれない。だから「好きだけど苦しい」の答えは「一度離れてみる」なのだと思う。

相手と距離をとり、自分という車を自在に運転できるようになったときにようやく、素直で力の入らない愛の言葉を伝えられる。

ほんの少し離れる勇気を持つことも、人生における大切な選択なのだ。


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