父が顔をおおって泣くとき
私の父は、東京の生まれだ。男子ばかりの工業高校を出たあとに就職し、25歳で母と結婚した。塗装を生業とする職人の祖父のもと、四人兄弟の三男坊として育ったせいか、競うように食べる習慣が抜けず、いまも早食いだ。
そんな父は、どうしても女の子がほしかったらしい。私の名前の由来をたずねたときには「高校生のとき、頭の中に降りてきたんだ」と嘘か本当か分からないエピソードを披露していた。
あまり治安のよくない都会にいた若いころの話をするときは「抗争」「どざえもん」という言葉もちょくちょく飛び出し、私と弟をぎょっとさせた。
毎日、長い距離を電車で通勤する父の楽しみは読書だった。週末は足繁く図書館に通っていて、よくお供していた私も、しっかりと本好きにしてもらった。
私と弟が就職したあとは、長年の夢だったハーレーダビットソンを買った。若者にまじって大型免許を取り、休みの日には朝四時に起きて一人で運転を楽しんでいた。
ある日、信号待ちで止まった時にランニングしていた女性に口笛を吹いたそうで「素敵な女性にはそうしないと失礼だろう」と訳のわからないことを言っていた。勘弁してくれ、と頭を抱える私をよそに、父はフフンと口の端を上げ、褒めてほしいと言わんばかりの得意気な表情をしていた。
私が夫を紹介したときも、最初は歳の差に驚いていたくせに、すぐに手のひらを返し「お前のようなじゃじゃ馬には、あれくらい落ち着いた人じゃないとだめだな」とわかったようなことを言っていた。
この結婚を機に私は引っ越し、父に会うことも減った。知り合いのいない遠い土地で暮らす娘を心配していたのだろうけれど、ときどき私の顔を見に来たときは「やっぱ近江牛うまいなぁ!」とこちらが恥ずかしくなるような大声で喜んでいた。
あるとき、両親がこちらに遊びに来たついでに、父がかねてから行きたがっていた京都の店へ行った。父好みの古い居酒屋で、土間の上に簡素なテーブルが並び、壁には所狭しとメニューが貼られていた。
お店に入り、ホクホクとえびす顔で店内を見回しながらおしぼりで手を拭く父は、早くもメニュー選びに夢中だった。母と私はもちろん、私の夫もいける口だ。父は私の方を向き、軽やかな口調で言った。
「俺は生ビール、お前もそれでいいな」
「いや、私はノンアルビールで」
キョトンとする父の横で、母は私たちがこれから何を告げるのかを一瞬で理解したようだった。
「じつは……」
夫が遠慮がちに口を挟んだ。
「なつが、妊娠しまして」
その言葉に、父の手がピタリと止まった。パッと母の顔を見たあとに私たちに視線を向けた。みるみる父の表情がくずれていく。そのまま「ああ」と短く声を上げると、冷えたおしぼりで顔をおおった。
ひとの叫ぶような嬉し涙を見たのは、これが初めてだった。
「やった! やったな! そうか、よかった、よかった……。おめでとう!」
私の妊娠という、これ以上にない分かりやすい理由で泣く父を見ながら、心の中の小さな私も大声を上げて泣いていた。
「両親に愛される行動を」とがんばり続けてきたけれど、そんなものはいらなかった。思い込みに縛られて辛かった過去が小さな私の涙で溶け、みるみる心が軽くなっていった。
「祝杯だな」
そう言って運ばれてきたジョッキを四人で合わせた。父はゆっくりと私を見た。
「ノンアルビールって、まずいよなぁ。残念だったな」とニヤリと笑みを浮かべ、それは美味しそうにビールを飲み干した。
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