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車なし仕事なしで北海道に移住してみたの裏話。

今年の2月頃突如自分の中に表れた北海道に引っ越そう!という軽いノリから始まった北海道移住計画。この半年程は本当に軽い感じでぽんっと進んできましたが、実は10年以上の長い長い動けない時期があった事もまとめておこうと思います。

今回の2月からの北海道移住シリーズだけを読んで頂くと、とてもフッ軽で行動力のある素晴らしい人間のように見えてしまうのですが、決してそんなタイプではないのをこちらで暴露してしまおうと思います。

自己紹介でも書いているのですが、私自身10代の高校、短大生活は北海道だったのですが、社会人になるタイミングで一度香川県へ帰省。そこから今回に踏み切れるまでが本当にとてつもなく長かったです。でも今思えばたくさんしてきた寄り道も含めて全てが今に繋がっているので、全部が全部意味がなかったわけではないんだなと受け止めています。

短大を卒業した後、香川県へ帰ってきたのも当時体調が優れなかったため。高校からの色々な環境の変化についていけず短大生活の2年間はあまり体調が優れなかったので、とりあえずなつもりで就活もせず香川県へ帰りました。

そこからの香川生活が本当に長く、警察や国土交通省等で任期付職員をやりながら6年ほど。でもお仕事自体はやりたいのかやりたくないのかもわからないまま始めたので、この6年ほどはずっとしっくりこないまま、飲み会で愚痴を吐きながら、休みは県外に逃亡しながら生活していました。

そこから26歳の時に自分の人生の面白くなさにひとり逆ギレをし、休日日数とかお金とかを考えずとりあえず新しい環境に出たいと思い北海道移住。…となれば色々と早かったのですが、この時自分自身が本当は何が好きなのかもわからないまま生きていたため、そんな思い切った行動が取れることもなく。とりあえずその時関心のあった農業の世界へ飛び込んでみることにしました。

高校時代は農業高校だったのですが、別に農業に興味があったわけでもなくその時大好きだった馬術ができる環境があったから。そんな感じで入学した農業高校でしたが、本当に楽しくてここでの3年間は今でももう一度戻りたいくらいです。
この経験から農業自体にはずっとポジティブなイメージを持っていて、高校時代の友人の後押しもあり、とりあえずその時実家から通える近くの農家さんに連絡。アルバイトからでもいいからおいでっと言って頂けて無事お仕事が決まりました。

その当時が27歳。そこからの人生が流れが早すぎて自分でもそのスピードにかなり振り回されながら今ここ北海道の小樽までやってきました。
その時働かせてもらった農家さんが日本人よりも海外の方が多い環境で、いきなり今までとは何もかも違う世界にぽんっと入り込んだ感じで、もう毎日の全てが目から鱗状態。ここで自分の中の色んな常識や普通がどんどん剥がされていきました。

ここで週6日身体を使って働くようになったのもとても大きかったと思います。
事務職時代は頭で色んなことを事実以上に考えて、答えの出ないもやもやをずっと抱えていましたが、単純に身体を動かすことでかなり気持ちが前に向くようになりました。

そうなってくると今度はもっと人間関係を広げていきたい!と何とも意欲的な人間に少しだけ成長。そこからまたシェアハウスへの入居を決意。ここら辺からまた更に色んな常識や普通だと思っていたことがべりっと剥がれていきました。

今まで地元の会社に勤め、何だか馴染めないのに馴染んでいるフリをして、本当は北海道に戻りたいのにその勇気もなくずっともやもや動けない自分にイライラしながら生活していました。
それがここのシェアハウスで出会った、同年代のちゃんと自分で人生を選択して生きている人たちと出会えたことで、とりあえず動いてみようと思えました。

周りの影響を受けやすいタイプというのは自負していたのですが、それがいい方向に向くととても楽に現実を動かせるようになりました。
どうやって楽しく生きていこうかと考えている人たちと毎日一緒にいる生活は本当に楽しくて、当時週6日働いていましたが、仕事終わりの時間や週1のお休みを使って本当に色んな場所に出かけました。でもそれは県外ではなく、いつもの飽き飽きしていた香川県だったのに、行く場所全てが新鮮で、全てが自分の意識でどうにでも変化するんだということに気付かされました。

そこから仕事に対してもとても自由に考えられるようになり、数ヶ月だけ北海道の農家さんで働いてみたいと当時の農園の社長にお願いしてみました。するとあっさりとOKを頂き、忙しくなる秋までに戻ってきてくれればということで夏の4ヶ月、北海道石狩市の農家さんに住み込みで働かせて頂くことになりました。

これも事務職を辞めていきなりここには到達できなかったと思います。その時、環境を変えることを優先して、一番入り口としてハードルの低かった近くの農家さんにアルバイトで実家から通うという選択をとったからここまで辿り着いたのだと思います。

そしてこちらの農家さんで初めて携わった有機農業。今までは慣行農業でやっていたため、またここで農業のイメージがガラッと変わりました。どちらが良いというのでもなく、すごく農業に対する視野が広がりました。
そしてこちらの農家さんでの生活がとてもオーガニック。自分の意思とは裏腹にいきなりオーガニックな生活となりました。

そして楽しい4ヶ月の北海道生活を終えて香川県へ帰省。
でも帰省して3ヶ月経った頃にいきなりの農薬でのアレルギー発症。
今まで自分がアレルギーになるなんて想像したこともなかったので、どう対処して良いのかもわからず、腫れてパンパンになった顔とどうみても土が触れる状態ではない手を見て本気でやばいと感じました。
でもその前の4ヶ月のオーガニックな環境を経験していたことで、自然と薬で抑える治療ではなく、体の中のものを出し切る方向に意識が向き、自然療法での治療を1年ほど。

その1年での経験が本当に人生の転機になりました。
今までの生活の中にもあった当たり前に何も疑問も持たず、周りと同じように生きていればそれが自分の幸せだと思っていたのですが、顔が腫れて、手も痒くて夜中も眠れない毎日が続くと、もっと生きるという事に重点をおいてもいいんじゃないのかなと思うようになりました。
人間社会で生きる上での幸せではなく、自分の身体を大切にして好きな場所でちゃんと深く呼吸をしながら生きたいと思うようになりました。

でも長年染み付いた根性論や我慢を剥がすには今まで我慢させてきた自分自身に対する休憩の期間が必要でした。アレルギーきっかけで自分の身体に意識を向ける癖をつけられたお陰で半年間の週休4日生活という選択をとれるようになっていました。

以前の私では週休4日なんて自分に対して許可できなかったと思います。でもこの選択肢を受け入れらるようになったのもアレルギーで一度立ち止まる時間を持てたから。そして立ち止まることでより生きやすくなるという経験をしていたからだと思います。

そしてその期間は自分自身の感覚に任せて、本当にやりたくないことは何もしない毎日を送りました。毎週大好きなカフェに行ったり、遠くまでドライブに行ったり、友人と山登りをしてみたり。気分が乗らない約束はしない、食べたい時に食べたい物を食べる、眠たい時はできる限り身体に予定を合わせてあげる。簡単だけど今まで出来なかったことを全てやってみました。

最初はこのままダラダラと良くない方向に向かっていくのではないかと不安もありましたが、ちゃんとお休みを十分にとった身体は次の本当はやりたかった北海道移住という選択をしてくれました。

そこからは2月に決意をしてから2ヶ月で北海道まで辿りついてしまいました。
そして北海道での生活自体も車なし仕事なしの状態で引っ越したのですが、車なしでも十分に楽しめるということがわかったり、お仕事も無事2ヶ月後には頂けることになりました。

今回の私の車なし仕事なしで北海道移住してみた。についてでしたが、北海道移住までに何度もやってみたを繰り返した延長線上に今の北海道での楽しい毎日があったのだと思います。いきなり大きなやってみたができる人たちが正直羨ましいと思う事もありますが、小さなやってみたを繰り返したお陰で出会えたり辿りつけた場所というのもたくさんあったので、大きなやってみたができるようになるまではこの小さな繰り返しを楽しみたいと思っています。

フッ軽そうに見えてそうじゃない、アクティブに見えてそうじゃない、決断力がありそうでそうじゃない私の小さなやってみたのご報告でした。

おわり。

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