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懐かしくて、チクリとする話。

 昔、とてもすてきな音楽を作る人とTwitterで行き違いを起こしたことがある。確か引用リツイートが根付きだした頃で、わたしのアカウントも今のものではなかった。

 他愛もないことだったと思う。その人が趣味にまつわるツイートをして、わたしと数名が引用リツイートで内容に関連するコメントをした。
 彼は「俺はそんなことは言ってない!」とやおらキレ、わたしを含む数名のアカウントがブロックされた。
 こちらとしてはその過剰とも見える反応が何故なのかさっぱりわからず、まあでも気に障ったのなら申し訳ないし仕方ないかなどと思っていたのだ。音楽は好きだし、と。

 結論から言えば、彼は「引用リツイート」という機能についてよく知らず、「こういうことを言っています」と勝手にまとめられたように勘違いしたらしい。周りにそれを指摘されたようで、ブロックは解除され、平謝りに次ぐ平謝りをされた。
 実は共通の知人がいるのだが、当然ながらそれを明かしてもいなかったので、曲から受けるイメージとは真逆の激しい展開にただただびっくりしたのをよく覚えている。

 わだかまりはなかった。でもなんとなく気がひけてしまい、SNSでの発信からも離れがちになり、結局行こうかと考えていたライブも行かずじまいだった。
 「じまい」になってしまった。
 大量のアルコール摂取により体調を崩していたことを知ったのは、彼が亡くなってからだ。それが直接の引き金かどうかは定かではないが、平均寿命にはまだ程遠い、あまりにも早すぎる旅立ちだった。

 昨日、とあるTwitterフォロワーさんとあるミュージシャンについてのやりとりをしていて、不意に別の人、つまり彼のことを思い出したのだ。浮かび上がってくるように。

 彼の音楽は、所謂世間的な大ヒットとは縁がなかった。だがずっと静かに聴かれ続け、風紋のように広がり、メディアミックス作品でカバーとして取り上げられたりもした。
 素晴らしいものをたくさん遺した人だと今でも思う。あのとき、気が引けるなんて考えたりせずにライブに足を運んでいたら、ほんの僅かでも違う未来があったのだろうか⋯⋯と、少し胸が軋んだ。

 今夜は、彼の歌を聴こう。冬によく似合うあの曲がいいな。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」