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展覧会「エゴン・シーレ展」@東京都美術館✖「肉体と精神、タブー」@mumok(ウィーン)から見えてきたこと

2月4日、東京都美術館(以下、都美)で開催中の「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」を観に行きました。

本展はエゴン・シーレの個展ではありません。ウィーンにあるレオポルド美術館の所蔵品を中心に、シーレとその時代、すなわち19世紀末から20世紀初頭のウィーン・モダニズムを、シーレを中心に概観するものです。

会場は1章~14章に分けられています。この多さは、最近観た展覧会では珍しく思われました。つまり、それだけ内容が多岐にわたっていました。盛りだくさんな分、やや物足りなく感じられたコーナーがあったのは、やむをえないかもしれませんね。

収穫は、シーレとグスタフ・クリムトの関係を知ることができたことです。

それから、風景画に光を当てていた点が新鮮でした。シーレ作品は人物画に注目が集まり、風景は埋もれてしまいがちですから。

《吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)》
《ドナウ河畔の街シュタインⅡ》
私が見たドナウ河も青くなかったです
《ランゲン・アム・アールベルク近くの風景》
《クルマウのクロイツベルク山麓の家々》


シーレの描いた家並みに煙突があったのを覚えておられるでしょうか。
私自身、初めてウィーンを訪れ、ある美術館の窓から街並みを眺めた時、どの屋根にも煙突が立っていたのが印象に残りました。その記憶がよみがえりました。

《モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)》
《小さな街Ⅲ》

また、風景も人物も似た色合いと風合いをもつ画面であるところに、シーレの個性のゆるぎなさを改めて感じました。モティーフ、ジャンルが異なっても、見ればシーレの絵だとわかります。彼独自の感性が息づいています。

ところで、シーレとウィーン・モダニズムといえば、ウィーンで強烈なインパクトをもつ展覧会に出会いました
「Body, Psyche, and Taboo. Vienna Actionism and Early Vienna Modernism」です。訳すと「肉体と精神、タブー ウィーン・アクショニズムと初期ウィーン・モダニズム」でしょうか。「肉体と精神、タブー」は展覧会名であると同時に、展覧会のコンセプトそのものでもありました。

今回都美に作品を貸し出したレオポルド美術館は、「ミュージアムクオーター」という区域にあります。ミュージアムクオーターは、ウィーン中心部を囲むリングを挟んで、王宮の南西に位置します。
この一角には「ウィーン・ルートヴィヒ財団近代美術館(mumok)」もあって、2016年5月初頭に訪れた際、「肉体と精神、タブー」を開催していたのです。ちなみに本展には、レオポルド美術館をはじめ、ウィーンのさまざまな美術館が出品協力をしていました。

ミュージアムクオーター(エントランス)
ミュージアムクオーター内-1
この先右手にmumokがあります
ミュージアムクオーター内-2
左の四角い建物がレオポルド美術館
レオポルド美術館
レオポルド美術館にあったクリムトのアトリエ再現コーナー
レオポルド美術館の窓から撮った王宮の方向の眺め 
グレーの円蓋をもつウィーン美術史美術館(右)、自然史博物館が見えます
ミュージアムクオーター内-3
左の黒っぽい建物がmumok

サブタイトルに出てくる「ウィーン・アクショニズム」とは、1960年代のウィーンで、身体を傷つける行為を含む過激なパフォーマンスを行なった一派(ヘルマン・ニッチ、オットー・ミュール、ギュンター・ブルス、ルドルフ・シュワルツコグラー)を指します。鑑賞した当時、私には未知の作家たちでした。
彼らは身体を材料として扱い、タブーに踏み込むようなショッキングなアクションを展開しました。mumokの展示にも、血まみれの裸体を撮った写真など、目を背けたくなるような衝撃的な作品がいくつも登場しました。過激で、グロテスクで、何度も目が点に……。日本では展示されることはないだろうと思われる作品群です。

※ ↓ 気持ち悪いと思う方は、スルーしてくださいm(__)m

「肉体と精神、タブー」(mumok)の展示風景-1(*1)
「肉体と精神、タブー」(mumok)の展示風景-2(*2)
上の写真の左の作品
何かの儀式のように見えます(*3)
「肉体と精神、タブー」(mumok)の展示風景-3(*4)
上の作品のパフォーマンスに使われた用具類を作品として展示

片やウィーン・モダニズムの作家には、クリムト、コロマン・モーザー、リヒャルト・ゲルストル、オスカー・ココシュカ、マックス・オッペンハイマー、そしてシーレも含まれていました。そう、都美に登場した作家たちです。

「肉体と精神、タブー」は、mumokが所蔵するウィーン・アクショニズムのコレクションを新たな視点から見直し、この「scandal artist」と評される作家たちの作品を、20世紀初頭に同じように物議を醸したウィーン・モダニズムの作家たちのものと対比し、関連付けることを狙いとしていました。
裏を返せば、スキャンダルを巻き起こしたアクショニズムと接続して語られるほど、20世紀初頭のウィーンに展開したモダニズムは急進的だったと言えるのではないでしょうか。

シーレ作品に焦点を絞ると……。

 mumokのテキストには、アクショニズム、初期モダニズムの双方において、精神性をたたえた肖像、痛みの経験を伴うむきだしの肉体が多数登場するとありました。シーレの描く人物はまさにそうだと言えるでしょう。そればかりか、強烈なセクシャリティを感じさせる作品が集められていました

 都美には「女性」「裸体」のコーナーが設けられ、また最後のコーナーにも官能的な裸婦像が含まれていました。
特徴的だったのは、大半が単身像だったことです。

一方、mumokには、都美にはないモティーフ、描写がありました。
一つは「カップル」。それから、一人あるいは二人が営む「性行為」「性的行為」です。もしかしたらクリムト作品だったかもしれませんが(汗)、脚を大きく開き、局部を露出した女性像もありました。確か「love & sex」だったか、そんなようなカテゴリーのなかで紹介されていた記憶があります。

「肉体と精神、タブー」(mumok)の展示風景-4(*5)


都美で展示していた《横たわる女》(1917年)のポーズはかなり大胆ですが、それでも股間の大部分は布で覆われていました。官能的ですが、ちょっと安心感をもって観られるかと思います。
ちなみに《横たわる女》はウィーンでも観ましたが、レオポルドでだったかmumokでだったか、続けて行ったのではっきりしません(汗)。がっしりとたくましい体躯が大変印象的だったのですけれど……。

《横たわる女》
松下奈緒「激動の人生がここに集まっている」東京都美術館で開催される『エゴン・シーレ展』に感激、ぴあ HPより引用
https://lp.p.pia.jp/article/news/260557/photo-gallery/index.html?id=4(2023年3月26日参照)

かつてエドゥアール・マネの《オランピア》(1865年)が女神ではない生身の女性(しかも娼婦)の裸体を描いてスキャンダルを招いたことは有名です。

エドゥアール・マネ《オランピア》

それからわずか50年ほど。スペインなど、裸体をまだタブー視する地域も存在した時代にあって、裸体どころか、プライバシーの最たる場面を内面をも含めて描出したシーレ。見てはならないものを描写した作品を目の当たりにした人々の間に、いわゆる「炎上」が起こったとしても不思議ではありません。

とりわけシーレには類まれなデッサンの才がありました。ササッと描いたかに見える、コイルのようにくるくるっとした脚の毛だけをとってみても、何とも言えずエロティック。鳥肌が立ちそうになります。そんなGiftを与えられた彼が描き出したタブーに抵触する絵画です。当時の人々の驚きはいかばかりだったか。今観てもショッキングなアクショニズムと関連づけられるほどの衝撃力があったことが、mumokの展示から感じ取れます

都美の展示内容は、1900年前後に現れたモダニズムの動向と絡み合いながらシーレが活動したこと、つまり作品・作者、「創作」の動向を紹介しています。シーレ作品が当時人々にどう受け止められたか、どんな反応があったかという、観客や社会、すなわち「受容」側の捉え方までは、なかなか伝わってきません。それが加わると彼の急進性や個性の鮮烈さがもっと浮き彫りになり、展示がより立体的になったのではないかと思われました。ちょっともったいないかも……。

 このたびの展覧会を観て、ウィーンに行かなければ観られない作品があると改めて実感しました。
ウィーンはお気に入りの街の一つです。春の陽気に誘われて、再び旅したい気持ちがむくむくと膨らんできました。

【参考】
mumok HP「Body, Psyche, and Taboo. Vienna Actionism and Early Vienna Modernism」紹介ページ *1〜5の画像は本ページより引用
https://www.mumok.at/en/events/body-psyche-and-taboo(2023年3月26日参照) 


……長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



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