自己紹介!


こんにちは。
改めて自己紹介を書こうと思います^_^
京都府生まれ、大阪育ち、
宮崎には、2022年7月末に引っ越してきました。
夫と娘2人(6歳と3歳)の4人家族です。
転勤族なので転々としており、京都→大阪→東京→山口→大阪→東京→福岡→宮崎と、旅するようにくらしています。

【子どものころ】

5歳の頃からピアノを習っていました。少女漫画やリカちゃん人形も好き。ピアノや漫画、小説、文章、作曲、朗読、何かと表現することが好きだったように思います。小学生のころクラスメイトの女子たちで劇団を作って公民館で歌って踊って演技することにどはまりしていました。
夏祭りで販売のお手伝いをしたり、地域の運動会で実況中継をしたりすることがとても面白かった記憶があります。作曲が得意だったので、友人が作った詞にメロディをつけるということを中学・高校時代にやっていました。高校生の頃文化祭のステージで、親友とコラボしてつくったオリジナルソングの弾き語りを発表したこともありました。


幼いころから世界の貧困が気になる子どもでした。青年海外協力隊に憧れを抱いていて、どんな国のどんなど田舎でも私は生きていく!とよくわからない信念をいだいていました。「世界ウルルン滞在記」の影響もあるかも?!

【学生時代】

大学時代にオーストラリアに留学し、そこで「パーマカルチャー」に出会いました。「パーマカルチャー」とは、パーマネント(永続性)と農業(アグリカルチャー)、そして文化(カルチャー)を組み合わせた言葉で、永続可能な農業をもとに永続可能な文化、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法です。そんなパーマカルチャーを実践している村であるブリスベン郊外のクリスタルウォーターズに滞在し、パーマカルチャー創始者であるビルモリソン氏とも出会いました。実際体験する中で、人間が少し手を加えることで生態系が持続可能になることを畑で体感。ここでの原体験がきっかけとなり、どんどん追及したい情熱が湧き立ちました。そこで気がついたことは「私は世界をよくしたいという思いで留学したけれど、日本の有機農業のことを何もしらない。日本の農業についてもっと知りたい」と思いがシフトするようになりました。そこで出会ったアメリカ人のカイルという青年から福岡正信氏、赤目自然農塾、日本のエコビレッジについて教えてもらいました。(←日本のことについてアメリカ人から教わったというのは衝撃でした!)「テイケイ」(提携)という仕組みは日本発のCSA(Community Supported Agriculture)なのだということも驚きました。1970年代の食品公害が社会問題となるとき、消費者と生産者が直接結びつく仕組みが生まれたんですね。日本に帰ってむさぼり文献を読み漁り、大学の論文でも「パーマカルチャーによる貧困削減の可能性」というテーマで教育賞を受賞しました。タイの山奥の山村に滞在したりもしました。そして、貧困を救いたいのなら私たちの生活スタイルそのものを見直さないと意味がないという考えに至ります。そして、有機農産物の市場外流通を広めるにはどうしたらよいのか?と考え始めました。

【社会人】

生協組織にご縁をいただき就職しました。生協は産直や提携の仕組みの原点に近いものがあるとそのころ抱いていました。
配属部署は「カタログ事業部」。通販のお仕事でカタログの編集、計数管理、衣料品の企画、MD(バイヤー)を経験しました。実は販売や商売は得意で好きなのでわりとのめりこみ、自分の得意が活かせたのではないかと思っています。ヒット商品も生まれました。年間40億円以上の予算を任されていたので責任も大きく、業務量が多くて深夜残業もありました。。やりがいや誇りを感じて働いていましたが、生活リズムも崩れ、不整脈(心室性期外収縮、頻脈)、尿管結石、膀胱炎などを経験し、今思うと”体の声を聴いてなかった”ように思います。また、夫の職業は転勤を伴うものだったこともあり一生続けられる職業ではないと思ったので、「メリディアンアナウンススクール」にて司会の勉強もしました。

そんな過酷な社会人生活でも、週末は農業や環境への熱い思いを満たすため(?)課外活動にいそしみました!
「縁農」としてむすび農園という有機農家にお手伝いに行ったり、自分で畑を借りたり、むすび農園やその仲間たちと「菜夏(ななつ)カフェ」というイベントカフェを開催したりしました。エコビレッジも興味があり、山梨の木の花ファミリー、インドのオーロビルにも滞在したことがあります。

また、もともと演劇が好きなので演劇ワークショップの手法を用いたまちづくりを実験するため仲間と団体を立ち上げ「みちばた劇まつり」というイベントを駅前で行ったりもしていました。大人たちが本気で遊んでいました笑 
私も鍵盤ハーモニカ弾きながら家庭菜園で収穫した大根を販売していました。
そこで出会ったメンバーと「キャットピープルズ」という音楽ユニットもつくり、私は鍵盤ハーモニカ片手に音楽祭や福祉施設への慰問訪問し昔懐かしい演歌の演奏を行う活動もしていました。

2012年、夫の転勤に伴い私は退職し、山口県岩国に引っ越しをします。ここでは退職しているので隠居気分です笑 岩国での生活は、3年間、やれることやりたいことなんでもやろう☆と楽しみました。勝手に「ふるさと応援隊」のつもりです。岩国を離れるとき友人から「よう暴れてくれました」という言葉をいただきましたが本当にいろいろ動きまくりました!!
「里山ひよじ村」という環境共生の村にて無農薬・無化学肥料、手植え手刈り、天日はざかけの米作りにかかわりました。自分の中ではふるさとを得たような感覚でした。
女性のための「まちあるきマップ」作成するにあたり、その原資つくりのために野菜を販売して歩きました。これがとても楽しくて楽しくて。大好きな仲間の作る人参は、体にエネルギーがまわり遺伝子レベルで喜びが溢れます。それをシェアしたい☆とスティック人参をタッパーに入れて商店街のお店を訪問販売し、「いわくにんじん」と呼ばれるほど笑 仲間が調理しそれを試食で出しながらマルシェで販売して野菜が飛ぶように売れていく…。もともと販売は得意ですが、とことん楽しいのでマップ完成後もライフワークとしてマルシェや産直市など出店していました。

【妊娠出産】

次なる転地は大阪でした。不妊治療も経験し最先端の治療をしようかという直前、結果的に自然妊娠がかない、第一子を授かります。これまでの活動は“他人軸”で自分のことを考えていなかった!もっと自分に目を向けてみよう!と気づいた直後のできごとでした。妊娠中は大阪で「エコスペースゆう」さんというつながりを大事にする有機農産物のお店に山口のものを卸させてもらったりお手伝いしたりしました。オーガニックカフェに出入り業者をしたりという活動で、岩国で得た人脈や農産物を大阪に流通するという小さな循環を作るのが喜びでした。

子どもが産まれてからは育児中心になりました。おむつなし育児、シュタイナー教育などゆるくのつもりですがわりとガチでw自然育児をしています。ただ、今までは仕事でも活動でも努力すれば報われてきたにも関わらず、育児となるとなかなか思うようにいきません。おそらく思うようにいかないことを体験するために育児(育自?)をしてきたのではないか、とも思えました。そんな中でNVCという非暴力・共感コミュニケーションを学び、自分の深いニーズとつながることを知るきっかけになりました。
第二子出産後は、体も疲れていてワンオペもあり、上の子の行動や言動にイライラしがちでNVCの学びも活かしきれず、なんだかしょっちゅうキレてました。子どもの癇癪や切替の苦手さや敏感さ(ASDとも診断され)に悩まされことからアドラー心理学に出会い、「ELM講座」「SMILE講座」を受講することで親子関係が改善し、”ブチギレ母”から解放されました。たまに癇癪はありますがいちいち振り回されなくなりました。私自身がとても変化したことを実感しています。

【今とこれから】


育児中の今は子どもと自然体験することが楽しみです。親子登山やピクニックやキャンプに出かけるとリフレッシュできます!
自然の中で自主保育のサークルを仲間とやっていたことも、心もカラダも満たされました!子どもも大人もイキイキして、人と人、人と自然がつながる場づくりをすることが喜びです。


これからの目標としては、まわりと自分を幸せにする大好きな活動をやりたい☆と思っています。子どもが安心できるあたたかな未来に力を注ぎたいです。

*食を通じて喜びや笑顔が循環する世界をつくる
*作り手と買い手が虹の輪のようにつなががり、命の喜びがめぐる未来へ貢献する
*里山の豊かさを一人でも多くの人に届ける
*自給する人が増えてこの国にたくさんの田畑が広がる
*小さな農家と食卓のかけはしになるか

一歩一歩実現していけたらいいなと思っています♪



お読みくださった方、ありがとうございました♡♡





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