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「こっちだって辛いんだ」という言葉と「特権」

女性差別に声をあげると、こんな言葉が跳ね返ってくることが少なくない。

「男性だって辛いんだ」

「男性の辛さをまず理解ようとするべきだ」

私は男性の生きづらさをなきものにしたくて声をあげているのではない。むしろその生きづらさが、男性中心主義的な社会の中から生み出されてしまうものなのであれば、共に声をあげてほしいと思っている。

そしてそもそも差別の問題は、力の不均衡の中で起きる。「その不平等を変えたい」と声をあげているのに、構造的に権力を持っている側が「まず、自分たちのことを理解しろ」というのは、それ自体が暴力的な言動でもある。

SNSでは「フェミニストは感情的だ」という偏見が飛び交い続けているが、自分の中の権力性や加害性に目を背けようとする態度こそ、私は否定的な意味での「感情的」だと思う。

権力性、加害性を認めることには勇気がいるし、後ろめたいし、時には居心地が悪い。感情の上で撥ねつけたくなることもあるだろう。私にも、そんな経験がある。

私が中学2年生の時に亡くなった父は、在日コリアンだった。けれどもそんな父のルーツを知ったのは、父の死後、戸籍を見た時だった。出自に対する複雑な思いを抱き、父は自身の家族のことを一切語らなかったようだ。

「韓国籍」という見慣れない文字を父の戸籍に見た時の感情を、今でも上手く言い表すことができない。「私は何者なのか」を知りたくて、それまでの自分を恐る恐る振り返ってみた。

思えば、夕食時に横目に見ていたニュース番組で、隣国を蔑むようなニュアンスで何かが報じられた時、中学生だった私は、いつの間にか、その空気感に同調していた。友人との会話の中で、差別用語だって使っていた。

こうして自分が「日本人」であることを疑わず、日本社会で「マジョリティ」でいる限り、差別やヘイトの問題を考えなくて済んだ。

朝鮮半島に対する攻撃的なニュースが流れる度に、朝鮮学校に嫌がらせの手紙が届いたり、通学中の生徒のチマチョゴリが切られたりすることにも、背を向けていられた。それこそが私が有してしまっていた「特権」だった。

父の出自を知るまで、痛みに想像を及ばせられなかった、浅はかな自分を恥じる感情がとつとつと湧き、そしてその感情とどう付き合っていけばいいのか、分からなくなってしまった。

ある時、縁あって、レイシズムを紐解く本『This Book Is Anti-Racist: 20 lessons on how to wake up, take action, and do the work』 を読み、その一節に目がとまった。

"SPEND YOUR PRIVILEGE."(あなたの特権を使おう)

「自分を救世主だと思ったり、慈善事業だと思う罠に陥らないように」という大切な忠告と共に、そこには「あなたの特権を使おう」と綴られていた。

”私が支配的文化に距離が近いということは、私にそれを無効化する力があるということ”

声を届け、響かせ、誰かをサポートすることができる、と。

父は黒人、母は白人、自身はバイレイシャルだという、作者のティファニー・ジュエル氏の実感もそこに込められているようだ。

このページを読み進めながら、こみ上げてくるものがあった。

それは、「許された」という感覚ではない。自分の「特権」や、それが構造的に持ってしまう「加害性」には常に注意深く、自覚的でありながらも、私のこの「特権」は、使い道次第で、社会をよりよい力に変えていくものにもできるかもしれない、ということに気づいたのだ。

差別の問題は、マジョリティー側の態度が変わらなければならない問題だ。たとえばレイシズムに基づく差別に声をあげた人々に対し、「日本人だって辛いんだ」という言葉を投げつけるのは、それとは逆行する態度だろう。

「特権」の存在を指摘されるのは、居心地のいいことではないかもしれない。けれども人間の歩みは、それを克服する歴史でもあるのだと思う。その「特権」をどのベクトルで、何に用いるのか、改めて向き合いたい。

ちなみにティファニー・ジュエル氏の書籍は、もうすぐ日本語版が刊行になる予定で、私も解説を書かせてもらっている。10代から手に取れる、力強い一冊、ぜひ。

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