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「9.11」とアフガニスタンで起きてきたことを知るための4本の映画

2001年9月11日、米国同時多発テロから20年という月日が経ちます。当時中学生だった私は、崩れ落ちていくビルの映像が現実のものとして受け止められず、しばらくは「映画の宣伝映像だろうか?」と考えていたほどです。

その後、当時のジョージ・W・ブッシュ政権は、この事件の首謀者は国際テロ組織「アルカイダ」の指導者オサマ・ビン・ラディン氏だと断定し、容疑者らをタリバン政権がかくまっているとしてアフガニスタンに「報復攻撃」を開始します。連日のように星条旗とアメリカ国歌で埋め尽くされていたテレビ画面は、乾いた大地と迷彩服の映像ばかりになっていきました。

そして20年後の今、タリバンは再び支配地域を拡大し、ついに首都カブールを制圧。今後、どのような「統治」が行なわれるのか、女性や人権活動家の安全は守られるのか、懸念を挙げればきりがないほどでしょう。

今回はあの米国同時多発テロやアフガニスタンで起きてきたことを伝える映画の中から、とりわけ印象に残っているものを4本、紹介していきます。

【オムニバス映画】11'09''01/セプテンバー11

11人の映画監督が、それぞれにとっての「9月11日」を「11分9秒01」の短編映画に込めた作品です。

イラン出身のサミラ・マフマルバフ監督が描いたのは、隣国に逃れてきたアフガニスタン難民の子どもたちの姿でした。「アメリカでたくさんの人が犠牲になった」と語る先生に、子どもたちが尋ねます。「高いビルってどれくらい?」。彼女は村にある一番高い建物を指さしてこう言います。「きっとあのレンガ工場の煙突くらいよ」。なぜ、本来争いとは遠いはずの人々が、虐げられ、追いやられていくのか。この会話から鋭く問いかけられたように思います。

イギリスのケン・ローチ監督の映像は、1973年9月11日、米国の支援を受けた軍がチリでクーデーターを起こした後、凄惨な拷問を受けた男性の証言を伝えています。1973年から90年まで17年間続いた軍事独裁政権下で、3万7000人が投獄・拷問され、死者・行方不明者は3200人以上にものぼるとされています。

男性は手元の紙にこう綴っていきます。「NYで愛する人々を亡くした人々へ。いつまでもお互いを忘れずにいましょう」。この「お互いに」に込められた願いを思わずにはいられませんでした。「9.11は米国だけの悲劇ではない」という痛切なメッセージが込められています。

【映画】ある戦争

平和維持軍として、アフガニスタンへの自国軍派兵を続けていたデンマーク。クラウスが率いていた150人の兵士たちは駐留に疲弊し、「この戦争に何の意味があるんだ」という気力を削がれた声が隊員からも漏れ聞こえていました。

ある時、部隊は地方の村で「敵」の急襲を受けます。このままでは負傷した隊員を守れない…それどころか部隊が全滅するかもしれない…極限状態の中で、クラウスは空爆を要請します。ところがその空爆によって子どもたちを含む民間人が犠牲となり、クラウスは軍法会議にかけられ、起訴されることになるのです。

この映画で最も重要なのは、「置き去りにしてはならないものはなにか」を投げかけてくるラストシーンだと感じます。クラウスにどのような処分が下ったとしても、空爆に巻き込まれた子どもたちの命は、返ってこない――その現実がまざまざと突きつけられます。

【ドキュメンタリー】ソニータ

アフガニスタンから隣国イランに逃れたソニータは、正規の在留資格やパスポートもなく、不安定な生活を余儀なくされていました。そんな彼女の心の支えはラップでり、彼女がスクラップブックに書き綴る歌詞は、彼女と同じような境遇の女の子たちの励みでもありました。

ところが16歳になったソニータを、母たちは見ず知らずの男性と結婚させようとします。その結婚相手から支払われる数千ドルを、ソニータの兄が結婚する際の持参金にしようというのです。自分はお金を得るための「道具」として生まれたわけではない、一方で家族の厳しい現状も知っている――その狭間で、ソニータの心は引き裂かれるほど揺れ動きます。

国境を越え飛び込んだ異国、女性として受けた生、背後まで迫る戦禍。立ちはだかる幾重もの逆境を前に、彼女の抵抗はリズムとなり、そのビートは人生をも変えるものとなっていきます。誰かの「もの」ではなく、私は私の人生を生きるーそんな彼女の決意が凝縮された作品です。

【ドキュメンタリー】ミッドナイトトラベラー

アフガニスタンでタリバンから「死刑」を宣告された映画監督、ハッサン・ファジリ氏が、同じく映画監督であり女優でもある妻ファティマさんと二人の娘と共に、安全を求め、ヨーロッパまで逃れる道のりをスマートフォンで記録し続けたドキュメンタリー映画です。

なんとか雨風しのげる難民保護施設にたどり着き、一時的にでも安心を得られたはずの一家を待ち受けていたのは、難民たちを排斥しようとする一部の住人たちによるヘイトクライムでした。施設のフェンスの向こうから、「出ていけ」と怒号のような声が住宅街に響いてきます。ブルガリアの路上では、幼い娘たちにまで殴りかかろうとする人々に直面し、戦地ではない場所で、子どもたちはまた新たなトラウマを背負うことになっていきます。

明日の生活さえ見えない中でも、家族同士で取り合う映像の中には、何気ない日常のシーンも見受けられます。自転車の練習をするファティマさん、雪遊びをする娘たち、限られた環境の中で、精一杯「人間らしく」生きようと努める姿に引き込まれていきます。

ミッドナイトトラベラーは2021年9月11日に日本でも公開となります。

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タリバンが、再び首都カブールを支配するに至り、国外脱出しようとする人々で空港が一時パニック状態に陥った様子が、日本でも報じられました。

日本政府は自衛隊機による退避対象に、日本のNGOなどのアフガン人職員も加えるとしていましたが、家族の帯同は認められていませんでした

もしもハッサン氏が同じ立場に立たされた時、ファティマさんや娘たちを置いて自分だけ自衛隊機に乗る選択をできたでしょうか。難民の排斥や門戸を閉ざす姿勢は、ブルガリアだけの問題ではありません。日本が民主国家としてあるべき姿勢を示せるのかも、今、強く問われているのではないでしょうか。

(カバー写真:Kei Sato / Dialogue for People)

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