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「ヘイト本」を置かない、という選択

今の仕事を始めた頃、昔は出版社が取材費を出してくれたらしいこと、発表先にあまり困らなかったらしいことを、写真家、ジャーナリストの先輩たちから度々耳にしたことがあった。「らしい」と書いたのは、私が今の仕事を始めた時点ですでに、発表先の選択肢は限られ、取材費をどこかに出してもらえることもほとんどなくなっていたからだ。

街の書店が次々閉じていってしまうのも、紙媒体が売れなくなっていく「流れ」に抗えなかったからなのだと単純に考えてしまっていた。けれど小規模な書店を取り巻く苦境が、出版不況の波によってだけ語れるものではないことを知った。『13坪の本屋の奇跡』を読んで。

この本はジャーナリストの木村元彦さんが、創業70周年を迎えた大阪・谷六のわずか13坪の本屋「隆祥館書店」の”軌跡”をたどった一冊だ。創業者である故・二村善明さんは、地域の人々に本を勧め、読書による地域づくりに力を尽くしてきた人だという。今の店主である娘の二村知子さんも、本の内容を深く読みこみ、お客さんそれぞれの嗜好を把握し、顔の見える対話を通して良書を広めている。作家さんとお客さんとをつなごうと開催してきたイベント「作家と読者の集い」はすでに250回近く。その姿勢は確かに、販売の実績にもつながってきた。

けれどもそんな熱心な書店の前に、「売りたい本が来ない」という壁が立ちはだかる。

「ランク配本」という言葉を、私はこの本を通して初めて知ることになる。これは店舗規模の大小によって自動的にランクが決められ、そのランクに基づいて配本される冊数が決まってしまう制度だ。大規模な書店が優先され、小さな書店は販売実績がどれだけあっても後回しにされがちなのだ。

この制度を知るまで、私は小規模な書店ではいわゆる”メジャーな本”を置くことで精いっぱいなのでは、と考えてしまっていた。けれどもAmazonなどでランキング上位を占める話題の本さえ、規模が小さい店というだけで時に仕入れが困難となってしまうのだ。中にはお客さんから注文された本を手に入れることができず、Amazonで購入して渡している店さえあるのだという。広く話題となった木村元彦さんの著書『オシムの言葉』も当時、隆祥館書店に一冊も入ってこなかった。

これだけIT技術が進歩してきた今の時代、店舗の規模ではなく、どの店でどんな本のニーズが高いのかなど、売上の実績に基づいて分析することは十分可能なはずだ。店舗の規模のみで線引きをしてしまうのであれば、お客さんの希望に細やかに対応することはできず、努力を重ねる書店も報われなくなってしまうはずだ。

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もう一つ、この本を通して知ることになった仕組みが、「見計らい本」のシステムだった。

これは書籍の問屋にあたる取次店が、書店が注文していない本を「見本」の名義の元に、”見計らって”送ってくるシステムだ。どのような基準で見計らい本が送られてくるのかは判然とせず、だからこそ、その書店に馴染まない本が一方的に送られてきてしまうことがある。

中には差別を扇動するもの、明らかにヘイトに当たる文章が掲載されているもの、それも数年も前に出されたバックナンバーまで含まれていることまであるという。

隆祥館書店では善明さんの頃から、差別を煽動するような本は置かない、という姿勢を貫いている。それでも書店の方針に明らかに合致しないものが送られてきてしまうのだ。

けれども中身も知らされず送られてきた本に対し、書店は即代金を請求され、入金をしなければならない。そうなれば店頭にその本を並べざるを得ない状況が生み出されてしまう。

この点は知子さん自身も、BUSINESS INSIDERの記事に詳細を書いて下さっている。

私自身も本を書かせてもらっている身でありながら、こうした構造があることを知らずにいた。声をあげること自体、知子さんにとっては勇気のいることだったはずだ。

思えば最近、近所の書店から、足が遠のきがちだった。他国への攻撃的な文言や、マイノリティーを揶揄するような言葉が表紙に踊る本が、最も目立つところに並ぶようになったからだ。昔味わったような、本に囲まれるわくわくとした気持ちは徐々に削がれていった。

そして悶々と考えていた。書店に行けば嫌悪を煽る本が並び、電車に乗れば誰かを罵る中吊り広告が目に飛び込む社会の中で、私たち大人は子どもたちに「いじめをやめよう」と、どこまで説得力を持ち語りかけられるだろうか、と。

「見計らい本」の仕組みを知るまで、私はそんな本を並べているのは、生き残りをかけた書店自体の「選択」だとただ思っていたし、実際にそれを選んでいる書店もあるのかもしれない。けれども「売らざるを得ない」システムがあることに、恥ずかしながら思いが至っていなかった。

細やかにお客さんに本を届ける、街の血脈のような存在の書店が立ち行かなくなれば、やがて出版業界そのものがさらに追い込まれていくはずだ。単に「出版不況」のせいだと思考を止めてしまっては、理不尽な仕組み自体は変わらない。

「炎上」や、過激な言葉の競い合いに頼らず、丁寧に本と向き合う場を、私は心から欲してきた。だからこそ「この仕組み自体を変えませんか?」と声をあげることで、かけがえのない場を守りたいと思う。

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