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ホロコーストを知るための映画、本、児童書

東京五輪・パラリンピックの開会式・閉会式で「ショーディレクター」を務めるはずだった小林賢太郎さんが、過去に「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」など、ホロコーストを揶揄するコントを制作していたことが問題視され、解任されました。

私は小林賢太郎さんの独り舞台を見に行ったことがあり、影や音を駆使して小さな空間を巨大に見せる手法に感銘を受けたことがありました。今回、「彼のような才能をつぶしてはいけない」と小林さんをかばう声もあがりましたが、クリエイティビティがあらゆる発言の「免罪符」になるわけではありません。

20年以上前の発言を掘り起こすなんて、という見方もありましたが、20年間、当時の発言をどうとらえているのかを十分に振り返らないままに、国際舞台に立ってしまうのは拙速だったように思います。

そもそも、開会式・閉会式のクリエイティブチームのメンバーが発表されたのはわずか1週間前でした。「サプライズ」にしたいという意図があったのかもしれませんが、開会直前まで市民の目を不在にしてしまう意思決定のあり方も、問題の一因ではないかと感じます。

加えて、小林さんがホロコーストを「ネタ」にする動画で、観客から「笑い」が起きたことの意味を、私はずっと考えています。10代前半だった当時の私があの場にいたら、周囲に受け流されず笑わずにいられただろうか――そしてこの「笑い」が放置され、有耶無耶にされ続けた先に、何が待ち受けているのだろうか、と。

第二次大戦中、ナチス・ドイツはユダヤ人の「絶滅計画」を実行に移していきました。それ以前にも繰り返されていたユダヤ人の虐殺が、この計画によって本格化していったのです。

強制収容所として作られたアウシュビッツでは、1940年6月から1945年1月までの4年7ヵ月の間に、約110万人が犠牲になったとされています。ユダヤ人だけではなく、多数のポーランド人やソ連人捕虜、ロマ人、同性愛者、障害者らがここで殺害されていきました。

生きるに値しない人と、そうではない人、あまりに恣意的なその線引きの根底には、「優生民族」であるアーリア人こそがヨーロッパを統一するのだ、という彼らのスローガンに見られるような「優生思想」がありました。

2017年、今は博物館となっている当時のアウシュビッツ強制収容所を訪れた時、私が最も心に刻もうと思った学びは、「言葉の放置」の深刻さでした。何百万という人々が殺されたホロコーストは、「〇〇人はいらない」「〇〇人は出ていけ」という街角のヘイトスピーチと、それがある種「黙認」される土壌から始まったものだったことも指摘されています。

小林さんの発言はなぜ批判され、なぜ問題なのか。この記事ではホロコーストを知るためにお勧めしたい映画や本、児童書を紹介していきます。これまでホロコーストをテーマにした作品は数々触れてきましたが、最近読んだり、あるいは読み返したりしたものについて書いていきたいと思います。

《映画》縞模様のパジャマの少年

映画の舞台は第二次世界大戦下のドイツ。主人公の少年ブルーノは、ナチス将校である父の昇進で、田舎の一軒家に引っ越していきます。ある日ブルーノは、立ち入ることを固く禁じられていた家裏の森へと探検に出向き、やがて鉄条網で囲まれた一角に突き当たります。その鉄条網の向こう側にいる、縞模様のシャツを着た少年、シュムールと出会い、心を通わせていきました。

ブルーノはその鉄条網の中で、何が起きているのかを知りません。なぜ家の周りで何かが焼けるような異様な匂いが漂っているのか、なぜ父と母がそのことを巡って毎夜のように言い争っているのかも。

家庭の中では「ごく普通の人」に見える人物が、なぜ他者には残虐になれるのか、その矛先を向けられるのが家族であれば心が痛むのか、それは「都合のいい人権感覚」ではないのか――現代を生きる私たちに投げかけられたメッセージが、衝撃のラストシーンに凝縮されています。

《書籍》ホロコーストを次世代に伝える アウシュビッツ・ミュージアムのガイドとして

アウシュビッツ博物館唯一の日本人ガイド、中谷剛さんの著書の一冊です。

2017年にアウシュビッツを訪れた時、「ホロコーストはヒトラーが一人で起こしたのではなく、“ユダヤ人は出て行け”といった街角のヘイトスピーチから始まりました」と語りかけてくれたのは中谷さんでした。今の日本はヘイトスピーチとホロコーストの間の、どこに立っているか考えてほしい、と。

本の中には、虐殺を巡る歴史的経緯や、ガイドとしてどのようにホロコーストと向き合ってきたのかが綴られています。収容を生き延び、35年間アウシュビッツ博物館の館長を務めたカジミエシュ・スモレンさんが残した言葉に出会ったのも、この本の中でした。彼は今を生きる若い世代にこう、語りかけていたのだといいます。

「君たちに戦争責任はない。でもそれを繰り返さない責任はある」

中谷さんのインタビューは、Dialogue for Peopleのサイトにも掲載しています。

《児童書》明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

ナチスの手を逃れドイツからキューバへと渡ろうとしたヨーゼフ、自由を求めキューバからアメリカへ海を越えようとしたイザベル、内戦で国を追われシリアからドイツへと旅を続けるマフムード――それぞれの「物語」の主人公たちは、命の危険を回避するため、あるいは大切な誰かを守るため、大人にならざるをえなかった子どもたちでした。

ヨーゼフは一人、拷問の影に怯え続ける父をなだめ、疲れ切った母を励まし、幼い妹の手を引き、逃避行を続けます。まだ年端もいかないはずの妹の記憶が、その後の鍵を握ります。

ホロコーストの時代から現代まで、違う時代を生きるはずの生きている子どもたちの人生が、「明日」というキーワードで、不思議と一本の線でつながっていく物語です。ホロコーストが、現代に生きる難民の人々の問題と地続きであることが伝わってきます。

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こうしてご紹介してきた書籍、映画、児童書で伝えられるホロコーストは、残念ながら「過去」にできないものばかりです。

小林賢太郎さんの動画が拡散された直後、ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が「どんなに創造的であっても、ナチスの虐殺の犠牲者をあざける権利は誰にもない」と非難する声明を発しました。この言葉そのものを否定する理由はありません。

ただこの団体は、パレスチナ市民に対するイスラエル軍の行いを肯定してきたことでも知られています。虐殺されてはいけない民族と、それが黙認されていい民族、そんな恣意的な線引きがあっていいはずがありません。むしろそれこそが、あのホロコーストから社会が学ばなければならなかったことのはずです。

「爆撃が続いていて、部屋の奥で震えながら祈っています」―――パレスチナ・ガザ地区の友人、アマルから、緊迫した声が届いたのは、イスラエルによる今年5月の攻撃の最中でした。彼女はまだ4ヵ月の子どもを抱きしめ、ただただ攻撃が止むよう、ひたすら祈っていました。

11日間の攻撃で、ガザでは一時、学校などに少なくとも7万5千人以上が避難。医療施設やそこに続く道路、メディアが入るビルなどが空爆を受け、子ども66人を含む242人が犠牲となりました。爆撃された中には、医療施設や、そこへと続く道路も含まれています。「テロリストへの報復」という建前を明らかに逸脱したものでした。

アマルの声は、記事としても公開しています。

今回「ホロコースト」という言葉がメディアで連日取り上げられましたが、その歴史に改めて触れるだけではなく、現代に続く虐殺の現状にも目を向けていくことができればと思います。

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