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今年の目標〜子育て編〜

完全不登校中の長男と、隔日未満さみだれ登校の次男、さみだれ登園の長女がいる三児の父、ナツキのパパ2.0です。

さて、新年を迎えもう10日以上が過ぎ、既に機を逃した感も若干覚えつつありますが、そこはご愛嬌。

やっぱりこのまま無為に過ごすのは余りにも恐ろしい状況なので、自分の考えや気持ち、振る舞いについて考える今でも、自分の中にある目標やテーマのようなモノをここに記しておこうかと思います。

2022年を目的を持って過ごそう。

自分の仕事や生き方については、昨年も色々と思うところがあり、モヤモヤを抱えながら過ごした形で、特に下半期から年末にかけては病みがちな日々も多くありました。

年末はある意味、多忙さと責任感のお陰で葛藤しながらも乗り越えたのですが、今年はちゃんと、何かしらの目的や目標を掲げて、何かしらの進展を意識できるような一年にしたい。

ただ、いきなり大きな目標やテーマが定まっていなくて、というか定められる程に言語化できない部分もあるからこそのモヤモヤ感なので、小分けにして考えてみました。

子育てに関する今年の自分のテーマ。

まずは父として。
子どもに対して思うこと、接し方について思うことは幾つかあるので挙げてみます。

1.育児とは的な堅苦しい考え方はしない。

そもそもこのテーマに対するスタンスというか、前提条件的な部分になるんですが、「子育てに関する目標」のよに畏まらずら堅苦しくないレベルで考えようという、のも1つのテーマにしようと思っています。

これを前提的に踏まえながら、今年は次の2つを併せて意識していこうと思います。

2.自分の行動を自己決定させる。

子どもに対してその時々に「こうして欲しい」と思う事があっても、出来るだけ「言ってさせる」のではなく、選択肢を提示する等の補助に留めて「自分で選ばせる」ようにする。

理由としては、他人に説得されるより自分で決めたことの方が10倍効果的だよね、という事で。

例えば宿題の催促なんかもそうだけど、お風呂や歯磨きを促すタイミングだったり、ボクの中では半ば強制的にさせても良いと考えてた部分に至るまで、全てに意識してみようかなと思います。

応援はするけど指示はせず、
監督ではなくサポーターに徹する、
て感じかな。


3.何かしらの花を咲かせようと焦らずに種を蒔く事を意識する。

熱中したり没頭できる何かを見つけて欲しいけど、自分本位にけしかけるのではなく、種まきに徹する意識で接する。

理由としては、熱中や没頭はけしかけて生まれるもんじゃなくて、退屈とか余裕の中で不意に生まれたりするモノだと思うから。

それに、芽はどこから出るか分からないし、時間差で出ることもあるだろうしね。

もちろん、種は風で飛んでくることもあるだろうから必ずしも人為的なモノでなくても良いとも思うけど、いずれにしろ種がないと芽は出ないしね。

だから、何かしないとと焦りやもどかしさを感じる位なら、種まきを頑張ろうと。

・・・恥をさらして本音を言えば、熱中するコトや没頭するコトが大事とは思ってるけど、そうそう見つからないよ!という気持ちになったり、芽が出たり花が咲いた誰かの子どもの話を見聞きすると、素直におめでとうと思う一方で、羨んだり自分を卑下しちゃう気持ちになったりするんですよね。。
だから、そんな自分を受け止めて励ます意味でも、種まきの時期なんだと意識しようと思う。

子どもの事を根拠なく信じる、
でもそこに成果(見返りや結果)を求めない、

て感じかな。


さて、今日はここまで。

今年1年の過ごし方や目標としては、かなり半端な感じが否めないのですが、まずは、父として、子どもに対してだけにして終わります。

仕事のことや、職業のこと、夫としてとか、他のことはまた改めて書こうかなと思います。

さて、現在の時刻は21:20ですが、我が家の子ども達はまだ全く寝る気がないし、素振りも見せません。

おやすみなさい。



過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。