褒めるではなく称える
子どもが出来て親になってから、子育てに関して色々と大切だよと言われることを、目にして、耳にしてきた。
例えば「怒ると叱るの違い」とか、「正しい褒め方と叱り方」とか、「子どもは所有物じゃない」とか「コントロールしようとせず1人の対等な人間として尊重する」とか。
もちろん今でも未熟な部分だらけだし、何かの折に触れて情けなくなったり、申し訳なく思ったりしてるけれど、悩んだり迷ったりしながら、そうやって親である自分の方が子どもから学び、少なからず当時よりは成長してきたなと、第1子の幼少期の頃を思い出しては最近よく思う。
そんな様々な先人達の教えや格言、ノウハウやハウツーの中には、褒め方に関するモノも幾つかあると思うけど、有名なところで、「結果ではなく過程を褒める」というのがありますよね。
この言葉の意図も意味もよく理解してるつもりなのですが、個人的に、どうも少しだけ違和感を覚えるんですよね。
あ、褒め方とか、褒める対象について異論がある訳ではなくて、「褒める」という言葉そのものに対してです。
これは自分が未熟だから、親としての自信がないからかも知れないけれど、どうも「褒める」って言葉そのものに、個人的にですが上から目線の傲慢な感じがしてしまって、なんか少し違うのかなって感じるよになっています。
褒めるっていうのは目上の人が目下の人に向けられた行為で、例えばプロの音楽家の演奏とか、アスリートのプレイとか、アーティストの作品とか、俳優の演技とか、識者の研究成果とかに対して感動したり感激したり感嘆したりしても褒めたりはしないですよね。
先生のご指導とかお手本とか、どんなに上手でも感謝しても「褒め」はしないですよね。
それらの場面で当てはまる言葉は、おそらく「讃える(称える)」という気持ちじゃないかな?と思います。
であるのなら、子どもは所有物じゃないし、1人の対等な個性として尊重するのなら、「褒める」も適当じゃない気がしていて、子どもに対しても「讃える」の方が、より適当な気がするんです。
もちろん内容や関係性、個性にもよるし適性とかもあるんだろうけど。
それと、結果ばかりを褒めると良くないという理屈は最もなんだけど、過程ばかりでも余り良くないんじゃないかなーとも思っていて。
それは、厳しいことを言えば、
社会に出ると結果重視なことが多いから。
幾ら頑張っていても結果が出てないとダメな事は事実として多いから。
だから、子どもを褒める際に「過程を重視する」のは良いとして、結果が伴っている場合はそれもそれで更に褒めると良いんだろうな、と思っています。
だから、そこでも上から目線で「褒める」より、しっかり見ていた事も伝わる過程を優先しつつも、結果もきちんと踏まえて、彼らなりの頑張りや努力を「讃える」ようにしたいなと。
個人的な、思っている今日この頃です。
とはいえ、上手く出来てないんですけどね…。
ついつい怒ってばかりで、声や言葉の圧でコントロールしがちで。。
なので、自戒を込めて、さいど今日から意識していこうと思います。
「褒める」ではなく「讃える」。
自分の成長の遅さゆえに子どもに対して申し訳なさも感じているけど、せめてこの先の子育て期間くらいは、そんな意識で接していこうと思います。
過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。