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現在地とこれから

承認欲求は否定するものではなく、育てるものなのですね。

約半年間、個人事業主の花屋として活動してきましたが、最初の壁にぶつかったように思えます。今から綴る文章は、未来の私が読み返した時に懐かしむための言葉であり、今の自分にとっての現状整理であります。何に悩み、これからどうしていきたいのか。頭の中はグッチャグチャだけど、誰かに話している感覚で書きます。


「将来どうしたいの?」
と聞かれることがあります。その度に私は、「様々な国の花文化に触れる旅を20代のうちにしたいと思っています。そのために活動しています」と答えます。この思いは嘘偽りのない事実であり、絶対に叶えると決めています。ただ、花屋としての全ての行動を「目標を叶えるために今どのように動くべきか?」と逆算して考えすぎていて、自分の感情を二の次に考えているのではないかと思うようになりました。

先日、香川県でお世話になっている花屋さんで一日店員をしました。とても勉強になりました。ディスプレイや資材の配置、値段の設定などなど、自分の活動に活かせそうなアイデアがたくさん詰まっていて、充実した時間を過ごすことができたと思います。終業後に店主さんとご飯にいき、そのことを伝えました。すると、「経営者思考だね。全部の作業を自分ごとに捉えらるのは素晴らしい」と言ってもらえました。一方で、このようにも言われました。

「ところで、本当にしたいことは何?」

私は言葉に詰まりました。

少し分かりづらい文章になってしまったかもしれないので、少し自分の性格について話します。私は元来、「〜したい」ではなく「〜すべき」という考えに囚われやすい人間です。例えば、大学の学部選択のとき。「文学を勉強したい」と思っていても「将来のために、汎用性が高い法学を勉強すべき」と意見を言われると、簡単にその考えが頭を埋め尽くしました。結果、好きでも興味があるわけでもない科目を選択した私は、深い後悔の念に駆られながら4年間を過ごしました。

話を元に戻します。私は、いつしか「花で実現したいこと」を考えるのではなく「花で生計を立てるためには何をすべきか」を一番に考えるようになってしまっていました。必要なことなのは分かっています。ただ、順序が逆になってはいけない。「生計を立てるために、できる範囲でやりたいことをやろう」では、自分の可能性を潰してしまいます。香川の花屋で、私は仕切りに「売上を上げるためにはどうしてるんですか?」と聞いていました。店主さんが聞きたかったのはそんな質問ではなく、「こんな花束を作りたのでアドバイスをください」だったはず。可愛げのないつまらない人間だなと自分が嫌になります。

最近、我慢して時間を過ごしていると感じることが多くなったのは、この「〜すべき」という考えが頭を支配しているから。分かってはいるけど、素直になれない。悶々として抜け出せない沼にハマり、体調が優れない日々が続きました。そんな闇を抜け出すヒントにくれたのは、この文章を書く前の一緒にお茶をした友人の役者でした。

友人にこれから役者としてどうなりたいのか聞くと、「売れたい。認知されたい。たくさんの人にチヤホヤされたい」と言い切りました。友人からは、中途半端さを一切感じない。清々しいほどに自分の欲求を表現する姿に昔から変わらない感動を覚えました。人はそれを承認欲求と呼びます。時に否定的な意味で捉えられるその欲求を、私たちは「健康的だね」と言い合いました。

認められたい。沢山の人にすごいと言われたい。サインを書いてくださいと言われた時、こんな喜びと快感はなかなか無いから、もっと求められる存在になりたいと思った。想像つかないような作品を作って、自分の一番のファンを自分にしたい。

友人が言い切ってくれたからこそ、私も言い切ることができました。気持ちよかった。どこか達観してすぐ諦める性格だったけど、そんな私にも譲れない承認欲求があったのだと思うと、素直にとても嬉しかったです。

思い通りにいっていない現状にはストレスが溜まる。作品に満足できないと悔しい。もっとできたんじゃ無いかと、強い後悔の念に駆られる。ぶっちゃけ全然技術足りてないし、経験も皆無。だけど、その歯痒さも丸ごと愛せそうな気がしてきました。友人には感謝です。

もっと沢山の花材を使って花を束ねたい。その空間にいる人をワッと驚かせるような装飾がしたい。沢山の人の目に触れるようなクリエイティブを作りたい。等しく自分の現在の無力さを痛感させられるけど、そんな思いができる仕事に出会えたことは幸せだし健康的です。

沢山のクリエイティブに触れたいと思います。花に限らず、何でも。そして、自分の承認欲求を大切に育てていきたいと思います。

あー、スッキリした。乱文失礼しました。






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