思い出の味を探して
noteを読んでいたら、こんな記事を見付けた。
ふたりの娘さんの子育てに日々奔走しながら着物を作ったり月末にギガ貧乏になったりデスメタルを聴いて精神を落ち着かせるお茶目なボーイ、よよさんの記事だ。
私は自分より年下の男性は全員「男子」だと思っているので「ボーイ」で問題無い。
女性の場合は「女子」「お嬢」だ。
なお年上の男性は「お兄さん」「オジサマ」で、年上の女性は「お姉様」である。
60歳だろうと70歳だろうと「お姉様」。
はいここテストに出ますからね。
何の話だっけ。
そうそう、よよさんの記事。
親御さんの手作り料理の中で何が好きだったかという話題から、いつか「娘に自分の作る卵焼きを最後の晩餐に選んでもらいたい」というテイルズオブノスタルジックな記事である。
どうでもいいけどテイルズの新作全然出ないね。
読後。
ふと気付いたのだ。
私、家族に作ってもらった思い出の料理って何かあるかな…。
別に暗い話ではありません。
単純に思い出せなかったので記憶をボーリングしてみました。
母の味
以前母についての記事で「お菓子作りの名手だった」と書いた。
母の作ったお菓子は本当に美味しかった。
しかし料理を美味しいと思ったことはあんまり無い。
こんなことを言うと酷い親不孝だと思われるかもしれないが、理由を聞いてほしい。
私は偏食のため、食べられる野菜が限られている。
これでもまだ食べられるようになったほうで、幼少の頃はほぼ全ての野菜が食べられなかった。
そんな私に危機感を抱いた当時の母は、わざと野菜ばかりのメニューを食卓に並べたのだ。
特にピーマンの肉詰めの登板機会が高く、私はちっちゃな頃から自我が強かったので、頑として食べることを拒否した。
「これを食べないならお夕飯抜きだからね!」
母の脅しにも屈さず一切口にしなかったものの、しかしお腹は減る。
半ベソをかきながら祖母の元に行くと、私に甘い彼女はおにぎりを作って食べさせてくれた。
「お母さんには内緒ね」と言いながら。
母は数年後に病気で入院し、そのまま帰って来なかった。
だから私は残念ながら母の美味しい料理の記憶というものが無いのだ。
祖母の味
母からバトンタッチされる形で、祖母が私達姉妹の料理を作るようになった。
この祖母の料理というのが、非常に評価の難しい物が多いのだ。
また祖母不孝と罵られるかもしれないが、理由を聞いてほしい。
祖母は、母親がいない私達をとても不憫に思っていた。
少しでも良い物を食べさせてあげたい。
きっとそんな思いがあったのだろう。
朝からステーキが出てくる。
他にもマグロの中落ち・黒毛和牛のミスジ・銀鱈・イクラや雲丹など、とにかく祖母は「料理」ではなく「美味しい食材」を食べさせることに熱を上げてしまったのだ。
「凛ちゃん!今日は魚屋さんに良い鯛があったからね!」と言ってお祝いでもないのに尾頭付きの鯛の塩焼きが出てくる日もあった。
おばあちゃん落ち着いて。
通常の「おばあちゃんの料理」と言えば煮物とかお浸しなんかが定番のはず。
しかし祖母がそうした料理を出してくることは無かった。
コウちゃんの味
そんなわけで私はあまり家庭料理という物に触れることなく成長した。
時は流れて20歳前後の頃。
コウちゃんという男子とお付き合いすることになる。
彼は料理が得意な人だった。
今でこそ「おうちごはん日記」なぞを綴っている私だが、実は結婚するまで料理が一切出来なかった。
というのも、家のキッチンに入るだけで祖母に「凛ちゃん!怪我したら大変だからお料理なんてしなくて良いのよ!」とブロックされていたからだ。
過保護すぎるぞおばあちゃん。
コウちゃんの家に遊びに行くと、彼は様々な料理を振る舞ってくれた。
中でも美味しかったのが豚とニラの鍋だ。
作ってくれている間、私は大抵プレステでビートマニアか三國無双をやっていたので作り方は分からない。
だがめちゃくちゃ美味しかったという記憶だけはあり、何度もせがんで作ってもらっていた。
夫の味
結婚してから独学で料理修行をし、現在では家庭料理をほぼ(揚げ物以外)マスターした。
基本的には何でも作れるようになり、たとえば「いま冷蔵庫にある物だけで献立を作る」みたいなことも余裕だ。
なので夫がキッチンに立つことはほぼ無いのだが、彼にはひとつ得意料理がある。
イカと雲丹の明太子パスタだ。
「企業秘密だから」と言って作り方は教えてもらえないのだが、気が向いた休日に作ってくれる。
これがバターたっぷりでめちゃくちゃ美味しいのだ。
コウちゃんの豚ニラ鍋も良いけれど。
私の最後の晩餐は、夫が作るイカと雲丹の明太子パスタでお願いしたい。
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