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珈琲日記#11~酒屋さんの珈琲を飲んだ話

地元の酒屋では、最近コーヒー豆を置くようになった。自家焙煎した様々な種類のコーヒー豆を販売している。そこで、散歩がてら行ってみた。

お酒とコーヒー。普段ではコラボすることがほとんどない二つが、同じ空間に並んでいる。地元のブランド品に認定されている豆を買おうときめていたが、豆を買う前に試飲してみることにした。

目の前で、酒屋のおじさんによってコーヒーが注がれる。なんだかシュールだ。

一口飲んでみた。いいにおい。やさしいあじ。

お客は私だけだったので、コーヒーを飲み終えるまで、おじさんとお話をした。地元出身の学生であること。東京の大学に在学しているが、長期留学していてそのまま帰国してきたので、当分は地元暮らしであること。

そんな自分の話だけでなく、共通の話題の「地元」についてもお話した。なんにもない地元だけど、住みやすいこと、地元のお祭りは活気をもたらしてくれること。ありきたりな話だけど、楽しかった。

東京にいたとき、お店の人とお話することはほとんどなかった。チェーン店でも、個人経営でも沢山のお客さんがいたし、話すきっかけを失いがちだった。そもそも話す必要性を感じなかった。けれど、コロナ禍で変わった。
必要最低限のコミュニケーションしか取れない中で、どうしても雑談というものがしたかった。もし、コロナがなかったら地元にここまで居候することなどなかったし、酒屋さんに行くこともなかっただろう。だから、店主のおじさんと話してみたいと思えたのかもしれない。

コーヒーを飲み終えて、「じゃあ、これください。」と声をかける。実家にミルがないので、砕いてもらう。「Tポイントカードの精算機、隣の店だからちょっと待っててね」と待たされるのも田舎ならではだ。

いいにおいのするコーヒーの袋を胸に、「ありがとうございました。」と店の引き戸を開ける。ここまであたたかい買い物は久しぶりだった。

昨今、買い物はオンライン上でできてしまう。作ってくれた人や販売者に出会わずに目的の商品を入手出来てしまう。確かに便利だ。でも、それだけだと生活が淡泊だ。必要以上の会話や出会いがあって、人は充足感を感じられるのだと思う。今の社会は、効率や生産ばかりに特化されて人が人でなくなっている。そんなことは30年くらい前から言われているのに変わらない。

生まれたときから”物質的に”豊かな社会だった自分は、少し手間がかかっても”精神的に”豊かな社会を享受したい。これは、自分以外の”現代っ子”も感じていることなのかもしれない。


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