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珈琲日記in ロンドン #6 留学中に日本語を使うということ

2月に入った。留学もそろそろ折り返しになる。やっと、思ったことを相手に英語で伝えることに慣れてきた。それでも、授業で自分の考えを自分が満足するレベルまで発言できなかったり、さっきまで普通に英語を話せていたのに、「これって英語でなんだっけ?」という言葉が出てきて止まってしまったりすると落ち込む。そんなときは、気分を変えようとカフェに向かう。

今回のカフェは、最近できた店。豆にこだわっているので、ラテでもコーヒーの程よい苦味が保たれている。そんな苦味を優しいミルクが包み込んでいるこの店のラテが好きだ。

留学中、総じて悩んでいることがある。このカフェでもその思いに悩まされていた。

日本語をどのくらい使うか

だ。

正直、自分の最初の最初の留学目標は「語学習得」だったから、日本語を使うのはその目標達成を拒むことになる。だから、最初の頃は日本人を極力避けていたし(今思うと一種の人種差別だと思う)出来る限り日本語から離れようと努力していた。しかし、そんな中あるものを感じた。

日本語を使わない自分は、「自分」じゃない!

そう、「アイデンティティの喪失」というものにぶつかったのだ。

日本語は、自分の「母語」だ。日本にいた頃、自分の思いを他の人に伝えたり、人間関係を構築したり、自分の成長のために勉強したり、その他の経験をするには日本語が不可欠だった。つまり、日本語が「自分の一部」だったのだ。

それでも、今はイギリスにいる。英語を使って生きていかないといけない。そして英語を使って留学を遂行しないといけない。だから朝早くから夜まで英語と向き合っている。でも、日本人である自分が日本語を全く使わないことは、アイデンティティ的に無理だと英語中心の生活で思い知らされた。だから、こうやってnoteやTwitterを更新する。たまには、日本人の学生と日本語で他愛のない話をする。そうやって、元の自分を大切にしようと思っている。

正直、すごい葛藤の中にいる。でも、その葛藤の中で「日本語の美しさ」や「英語の簡潔さ」に気づくことができたし、日本ではあまり意識のなかった「アイデンティティ」の大切さを実感することができた。あと150日余、この葛藤に苦しめられながら、そんなロンドンでの日々を楽しみたいと思う。

(追記)このカフェではカズオ・イシグロを読んだ。日本のルーツを持ちながらも英語で自身の作品を描く彼の思いに触れたかったから。まだ読み切っていないので、感想は保留ということで。

#女子大生 #イギリス #コーヒー #エッセイ #留学 #ロンドン



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