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ソーシャルなんとか|ワーケーションの是非

少し前のFacebook投稿ですが。

ええやんけー。

こういうのを見ちゃうと、何もしない地元民より「やってみよう、やります」の外資だよねぇと思ってしまう。……あ、「外資」は外国資本ではなく「地域外資本」の方です。今ここではWe'll-Being JAPANさんのことです。

新潟県妙高市では今年度から、ワーケーションを推進する事業が始まりました。

でも何もしない地元民は応援もしなかったりするし、それどころか外資を敵視して何ならネガキャンまでかまして、挙句うまくいかなくて撤退したら「ほれ見たことか」「無責任」とか言ったりもする。つまり、そもそも理解をしていない(する気が無いのかもしれません……)。

無責任て何?
じゃあ、「何もしない」のが責任ある行動ですか?

それとも、うまくいかないと判った道を死に絶えるまで歩み続けるのがあなたの言う「責任」ですか。撤退も後戻りも許さないと?

何だその敗戦国スピリットは。怖いわ。

ワーケーションの是非

ワーケーションは今現在都市部に暮らしている人が、働き方のバラエティを実体験するための仕組みとしてとても有効だと思います。

さらにその先、「ただ働く場所が田舎に一時移動するだけ」ではなく、田舎で仕事をすることで「リフレッシュになる」「新しい刺激を受ける」「新たな発想や価値観が生まれる」などの+αを提供できるか・味わってもらえるかは地域の側の受け入れ姿勢に掛かっているのではないでしょうか。

その点、妙高市は昔から妙高高原という「外の人」を色々な形で受け入れる土壌があった分、新潟県内でも取り組みが早く進んでるんだろうなーと感じています。

「所詮お上のやることは」みたいに唾棄する or 無関心な市民が多ければ、そりゃ、その土地には根付かないでしょうね。

でも、お上の目的は「ワーケーションで銭稼ぎ」ではないはずです。地域と地域外の人との接点を増やすための、これは「手法」。プロセスです。

先ほど投稿した記事(本日は2本upしています、珍しー。)にも書きましたが、人口減少問題・人手不足は今日より明日、明日より明後日、確実に向こう数十年は続くことが決まっている下り坂。

このなかで健全な社会、暮らしを営んでいくには、少ない頭数であっても/離れ離れの場所にいても、手を取り合って協力する仕組みを築いていかねばなりません。これはもう、この先のこの国に絶対必須の重要課題。

では、色々な地域の人・都市部の人たちに、我が地域を知り、愛着を持ってもらう=関係人口になってもらうには、どうしたら良いのか。

その解のひとつがワーケーションであって、ワーケーションの是非を語るのなんか3年前に終わってる話なのです。

私は妙高市の取り組みを応援したいと思っています。上越市民として言わせてもらえば、上越市もさっさと始めてほしい!!! です。あくまでワーケーションは「手法」なので、上越市の選択は必ずしもワーケーションである必要は無いのですが、さてさて。

ソコに向けて畑を耕すのが、私の仕事かなー。他に、してる人の気配が無いので……必要性はしっかり理解されていて「何とかしないと」とおっしゃっている方は点々といらっしゃることは分かってはいますし、今のところまた私もその一員、という状態なのですが。

頑張ります。

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