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Michael Jacksonが大好きだった話


わたし、小さい頃Michael Jacksonのことが大好きだった。


普通に聞くと、ほんとしょうもない話だなと自分でも思うけど
わたしの内側では重要な位置を占める。

だからここに記そうとおもった。
長い間封印していたきもちに気づいて、今、傷だらけで毎日過ごしている。


いつからかわからないけど、小さい時から彼のことが大好きだった。
彼が亡くなったのはわたしが7歳か8歳ぐらいの時。

好きになり始めたのが、彼がいなくなってしまってからなのか
それともそれより前からか、もうわからないけど

家にCDやDVDがたくさんあって、ライブ映像やPVを毎日何時間も観ていたことを覚えてる。

当時は英語わからなかったけど、音楽プレーヤーの前で歌詞カードを見ながら
一緒に歌ってた。

英語ではじめて歌えるようになった曲はjackson5時代のアルバムから"Ben".

車にほとんど全部アルバムを録音して、習い事のバレエの行き帰りはdangerousのアルバムをよく聴いていたのを覚えてる。

全然踊れないくせにいろんなPVの振り付けをテレビで見ながら覚えて踊ってた。

彼のメッセージに感化されて ”love & peace”という曲を作って(作詞作曲!)、こどもバンドでみんなで演奏した。

中学でアメリカに渡ったときは、自分のお小遣いを貯めて買ったMichaelのTシャツを着て行ったし、普段学校にもっていく筆箱にはスリラーのアルバムジャケットのバッジをたくさんつけてた。

夢にはしょっちゅう出てきてくれた。

中学生。なかなか芋っこくてかわいい。この格好で飛行機に乗りアメリカへ🤣


エピソードは数え切れないほど。毎日毎日彼のことを考えて過ごしていた。

わたしはあまり一人のアーティストの作品を全部追うことできないんだけど、この人だけ唯一、ほぼすべての曲やビデオやパフォーマンスがわかるアーティストかもしれない。

小中学校時代は、周りのお友達でmichaelわかる人はあんまりいなくて、え〜誰それ〜って言われたり、だいぶいじられたりしたけど、当時のわたしは好き度が何倍もでかいからそんなことは痛くも痒くもないのだったw

とにかくめちゃめちゃ大好きだったんでした。
思えばわたしのダンスへの愛や英語を学ぶモチベーションや海外への興味はその辺から始まってる気がする。

彼の何が、わたしにとってそんなに魅力的に映ったのか、今さら細かく分析しようとも思わないけど、パフォーマンスやルックスや笑顔も大好きだったし
愛あふれるメッセージや立ち振る舞いも。

ハートのど真ん中にどきゅんとやってきてずっとそこにい続けた。
こんなに誰かのことを好きになれるなんて!

今考えるとお父さんがいなかったわたしにとっての、父性のシンボルでもあったんだと思う。

だけど、こんなに大好きで、こんなに毎日想っていて、
夢の中では笑顔でほほえんでくれてこんなに優しく包んでくれるのに、
こんなに日々の心の支えになっているのに、
この人は現実にはもういない。もうこの世界からいなくなってしまった。わたしのいる世界には存在しない。
わたしのこれからの長い人生で、一度も逢うことも話すこともできない。
彼がある時この世界に居たという事実を辿っていくこと、その軌跡を知っていくことしかできない。
その事が、幼い私にとっては切なすぎて、辛すぎだった。
辛すぎて、いつしかどうすることもできないあふれる想いにフタをしめて、忘れてしまっていた。

それからは、あまりにも有名すぎる彼に対する世間の扱い方を見て、
ああそんなにメジャーなのね、むしろメジャーすぎてネタ枠なのね…と思ったり、彼の曲を聴いても、いつもどこかで流れてるのが当たり前のただのコンテンツに
なってしまって、あの頃の個人的で情熱的なLOVEは消え去っていった。

そしたら最近、何かしら(たぶんreelとかだったと思う)でMichaelのコンテンツが回ってきて、たしか来年公開のバイオグラフィック映画の告知とかだったんだけど、何気なく見てたら突然当時のLOVEの気持ちが蘇ってきた。

ここ数年、どんなコンテンツ見てももうなんとも思わなくなってたのに。

突然。昔の懐かしい友人を思い出したような感じで
ああ、ひさしぶり、わたしこの人のこと大好きだったじゃん😭って。
逢いたい!お話したい!ハグしたい!一緒に時間を過ごしたい!一緒に遊びたい!大好き!大好き!
そんな一方的な、あの時抱えてた内側からのLOVEのきもちが久しぶりにとめどなく流れてきて、どくどくした。

日々自分の内側に向き合うことを続けていると、どこかで置き去りにしてきたとんでもない過去のトラウマが蘇ってくることがある。
これ、小さい時に感じてたやつだ。
だけどもう辛すぎるから感じるのをやめたやつだ。

胸がめっちゃ痛いし、それが届かないことが切なくて辛すぎる。
生きてさえない人。何をどうがんばっても一生逢えない人。
彼に逢うことができない人生を、生きている意味がある?とさえ感じる。

向ける先のないこのきもちをひとりで抱えるにはデカすぎる。
デカすぎて抱えるのやめたんだもんね。
あ、わたしこれやり切ってないじゃん…って感じ。


こういうことは、恋人との関係とか家族との関係とかでもしばしば起こることがある。実際のパートナーや生きている相手に対していろんな感情が湧き上がってくる。
でもそれは自分だけが持っているもの。
それを誰かと分かち合って同じように感じてもらうことはできないから、ホントは全部自分で向き合わないといけないんだけど、相手に届かないこと、理解されないことが怒りになったり寂しさになったり。ぐずぐず溜めてると流れていかず、折に触れて何度もそのきもちがやってくることになる。
人間ってややこしいw

さて、わたしも、この彼に向けた自分の中にあるこのきもちを抱きしめてあげたいな。
一人でこれを完結させるチャンスが今やってきてるんだな。という今です。

それにしても、わたしは年上のお友達が多いんだけど、みんなは彼が生きていた時代を一緒に生きていたと思うと本当に羨ましい。
自分の生活の中で、彼が新しい曲をリリースしたり、コンサートツアーをしたり、テレビに出たり、結婚や離婚や子どもができたことを発表したり、ファンの人は逢いに行ったりもしただろうし、そうでなくてもいつでもニュースになってるから、みんな彼の存在を「今」という時間軸で一度は体験することができたんだ。
いいなあ。
みんなに、彼がいた世界がどんな感じだったのか聞いて回りたいな。


そして、彼の生き様をみながら、自分の内側のこのきもちをずっと見ていると、わたし、これになりたいのかな、って。
そんなきもちが、奥底に眠ってるのが見える。

パフォーマンスが大好きだ。

小さい頃は親戚やともだちが集まるとすぐにみんなの前に立って踊っていた。家では家族に向けて定期コンサート(笑)をしてた。
自分で手書きのプログラム作って、順番で踊ったり歌ったりピアノ弾いたり(全部自分が出るw)。目立ちたがりだった。

みんなの前で踊ること、歌うこと、しゃべること、楽器を演奏すること。人にメッセージを伝えること。
そこにわたしの真のjoyがある。
ちっちゃい時はそのjoyを叶えるためにいろんなことをやってた。常に人前に出てるタイプだった。

近年はbeing seen, being percieved という状態に「緊張」が生まれて、人前に出ることをやめてた。かなり恐れるようになってしまってた。

それと、人と違うことやりたいといつも思ってた。まあそれは今もかも。

そして踊ったり歌ったりのパフォーマンス自体、中学で行ってみたダンススクールで人間関係があまりに難しく大変だった(ダンスあるある)体験や、誰かと比べて「上手じゃない」と思ったことがきっかけでいつのまにかやめてしまっていた。
もったいないなあ。
下手だからって、自分の魂が真に望んでいることに制限をかけてしまうなんて。
上手じゃなくても楽しいならやればいいし、上手になりたいなら練習すればいい。
楽しいことを続けていることが何よりも大事。

たぶん4歳ぐらい。 親戚の集まりで、広間のステージで一人でみんなの前で踊ってる。

そしてわたし、高校卒業したぐらいでひょんなことからヒールダンスを始めた。
そこからまたダンスの素晴らしさに目覚め、ここ数年はいろんなジャンルを研究しながらちゃんとダンスライフを楽しんでる。
(楽しいなんて思えないこともしばしば、むしろその方が全然ある)

そして、驚きなのは、最近Michaelの曲で踊るということを楽しんでる!

ダンサーとして生き始めてから、自分がMichaelの曲に合わせて踊るなんて考えたこともなかった。
あんな素晴らしいアルティメイトパフォーマーの音楽で踊るなんて、恐れ多くて自分にはできないって思ってた。

だけど、そのLOVEが蘇ってきた時から、ああ、この人の音楽で、この人の声で、踊りたいっっっ♡♡♡
ってなって、実際に踊ってみたらすごい幸せだった。
彼の世界観に包まれて自分の世界をクリエイトする幸せよ。
振り付けつくるプレッシャーはもちろんあるけどね。

今のは余談。

さて、自分の内側と照らし合わせながら、改めて彼の映像を観たりすると、昔見ていた彼と全然印象が違くて、それもなかなか面白い。
曲も、彼は自分の実体験をストレートかつ具体的に歌詞にしたりするから、英語がわかるようになって初めて意味を理解したりして、「あ〜彼はこんなことを思ってたのか!こんなことを体験したのか!」と感じることができて嬉しい。

そして彼に共感する部分と、彼の未熟さが自分の感性に映る部分とがあって、なんだ、ただの人間だったんだなあ、と思う。
神格化されていたシンボルとしての完璧な彼はよく見るとどこにも存在しなくて、
一人の人間が幼少期に得られなかった愛情や受けた傷を大人になって自分の力で癒そうとする姿や
他者との関係性の中で期待に応えるために自分を見失ったり、もがいて生きてきたことがよくわかって、それが見えるのも胸が苦しくなる。

普通の人だったんだけど、その上で、自分が身体というツールを使って、ダンスや音楽で表現することで人々にjoyを運ぶ、大いなる力から渡されたダルマを達成しようというヴィジョンが見えているのは、それまでの多大なる苦しみがあったからで、波乱万丈の人生をしっかり生きてきてその視点が生まれたんだなあ。とも思う。


児童虐待のことや死に際に起こっていたこと、子どもとの血縁関係、とか、メディアで騒がれて真実が明らかになってないことが多いけれど
彼の佇まいからわかることの方が多いし、
できごとはきっとどうでもいい。
大事なのは彼が何を感じていたかだけ。どんな形であれ、ひとりの人間の生き方で人生である。

そしてマスコミや関係ない野次馬の人たちの彼の扱い方が最悪で、ドキュメンタリーとかみてて本当にこっちが申し訳ない気持ちになってくる。お金や名声にたかって、彼の大切なものをどんどん奪っていった。彼はそれでもピュアであり続けてくれたけど、その結果、いなくなってしまったよね。
みんな最低だよ。みんなが彼を殺したよ。わたしがその時代に生きてたらひとりずつ殴って回ってやる!

Michaelがまだ生きている説、davedaveの話とかしばらく信じていたけれど、(調べればいろいろでてきます)最近妹のJanetのドキュメンタリーをみて、ああ、やっぱり彼はもうここにはいないだろうな、死んでしまったんたんだろうなっておもった。

生きていると信じたかっただけかもしれない。
いつかひょこんとまた現れてくれたらいいのにな、とも思ったりする。でも、それだと世界中がまたギャーギャーやってしまうから、そんなことしないだろうな。

もしどこかで生きていたとしたら、どうか幸せでありますように。穏やかで楽しい毎日を自分のために暮らしていますように。

Michael、たくさんのギフトを残してくれてありがとう。

いつまでもハートにタッチし続けてくれてありがとう。

あなたのおかげでわたしは今ここに生きて居ます。

これからもあなたのlegacyを守り続けるし、あなたから学び続けます。

何よりも、大好きです!!♡

I love you forever!
Rest In Peace, our King Of Pop
Michael Jackson…

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