見出し画像

【5月22日】シャルマン火打スキー場との出会い ② ≪夢の生活≫

この記事は『名取崇史スノーボードリノベーションサークル』内で発行している記事を元にしています。
※記事の内容は引用やシェア・口外禁止です。


昨日の記事を簡単におさらいしますと。
高校を卒業してからアメリカ行きを決意し、肉体労働にあけくれ貯金をする毎日でしたが。アメリカ行きを断念した事をきっかけに、スノーボード熱が再び燃え上がるというお話しでしたよね。(めちゃくちゃ端折ってますが笑)
それでまず最初に「上越国際スキー場」へ行き、毎日のように滑っていたというところからのお話しになります。


ーーーーーーーーーー
◆ 地元逗子の友人
ーーーーーーーーーー

上越国際スキー場でひたすら滑り続ける毎日ですが。週末なんかは友達が来てくれたりしたけど、基本的にはずっと1人で滑っていたので、よく精神状態が続いたなというのはいまになって感心しています。(最近はもう1人で滑り行く事はないので)

そんなある日、2月の終わり頃だったと思うんですけど。地元逗子の同級生から連絡があり。この頃は、スノーボードブーム真っただ中だったので神奈川の友達も結構やっていたんですよね。その友達が「大学の冬休みなんで友達とスノーボードしに行きたいんだけど、一緒に滑ってくれない?」という相談を受け。「おっけい、じゃあこっちで宿とか探しておくよ」という事で。その頃はまだネットで宿を予約するなんて感じでもなかったので、雑誌を見ながら宿を探しまして。友達は電車で来るというので、ゲレンデ前のホテルがいいなよなー、なんて探しておきながら。何気に自分も行ってみたかった「苗場スキー場・浅貝ゲレンデ」の中にあるホテルに決定。

なぜこの浅貝ゲレンデがよかったかというと、ここにもハーフパイプがあり、キッカーも常設していたんです。この浅貝ゲレンデは、苗場スキー場系列ではありますが、道路を挟んだ反対側に位置し、苗場スキー場とは離れた独立したゲレンデになっています。今は残念ながら営業していませんけど。
この時はまだ、本丸の苗場スキー場では基本的に「スノーボード禁止」で一番端っこの、リフト1本だけで500mくらいのコースしか滑れないという状態。
これも最近の子には想像できないかもしれないけど、その当時はスノーボードを禁止しているスキー場も多く。一部だけとか、滑るなら朝講習を受けてからじゃないとダメとか。とにかく新参者のスノーボーダーには厳しい時代です。
そんな中、浅貝ゲレンデの方はそもそもリフト2本しかない小さなゲレンデでしたけど、スノーボードの滑走を全て開放していて、パークなんかも常設していたんです。


ーーーーーーーーーー
◆ まさかの誘い
ーーーーーーーーーー

ここから先は

2,572字 / 1画像

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?