摂食障害【過食症】
食べることができて、もう大丈夫、地獄は終わりだと疑わなかった。
でも、待っていた過食症は何倍も何百倍も辛く、拒食症より底なし沼だった。
29キロの拒食症から、一気に食べたのは危険だったと思う。
でも、わたしの場合は雰囲気に任せたから口にできた訳で、身体にやさしいものだとか、消化機能に負担のないものだとか理屈で考えていたら、食べるきっかけにはならなかったと思う。
使っていなかった胃袋は急な仕事にびっくりして、1週間は食欲が湧かずほとんど何も食べなかった。
身体が落ち着きこれから食べる練習をしようと思った矢先、祖父が交通事故に遭ったと連絡がきた。
両親と県外の祖父母の家まで急いで向かうも、祖父は既に亡くなり、真っ白な布団に寝かされていた。
こんなときでさえ、わたしは食事が不安だった。
急いできたせいで何も準備していない。数日間泊まることになる。
みんなと同じものが食べられない。
どうしたらいいのかぐるぐると考えていた。
久しぶりに会う親戚もわたしの姿に驚いたそうで、わたしの前では大人な対応をしてくれたけど、母は色々と聞かれたらしい。
法事が行われ、オードブルが並ぶ。
ここで過食症のきっかけが訪れた。
かぼちゃのコロッケをばかみたいに食べた。
お腹が苦しいのに次々と色んなものを口にした。
ガリガリに骨ばった姿で大量に食べるなんて異常な姿だったと思う。
夜中にお腹が空いて、隣で眠る母を起こした。
「眠れないの?」
「お腹空いた。」
「カレー食べる?」
頷くと、母は温めたカレーを運んでくれた。
それなのに、わたしは突然気が変わりカロリーが怖くなった。
「やっぱりいらない。」
母は大きくため息をついた。
「もう、どうしたらいいの。お母さん本当はじいちゃんと下の部屋で寝たいんだよ。じいちゃんとは最後の日だけど、なてと一緒にいるんだよ。もう、疲れたよ。どうしたらいいの。」
1番側にいてほしい母親に、愛して欲しい母親に「疲れた」と言わせてしまった。
捨てられる。
独りになる。
「ごめんなさい、ごめんなさい。食べるから。食べれるから。治すから。」
パニックで泣きながら懇願し、母はうなだれて涙を流すだけだった。
自分のことに精一杯で、何年も自分勝手に生きていた。
唯一支えとなってくれた母は、解決策がわからずわたし以上に苦しかったと思う。
法事での過食をきっかけに、目が覚めたかのように食べることが可能になると、家に戻ってからも毎日コンビニで好きなものを買い食いした。
ガリガリだったぶん、猶予があると安心していた。
元々太りやすい体質。魔法にかかっている訳でもない体重はあっという間に増えた。
なりたくなかった過食症だと自覚して、正しい知識をつけようと本を読んで勉強した。
糖質も炭水化物も悪ではないこと、吸収の仕組み、エネルギーの変換、基礎代謝分は消費することをしっかり頭に入れた。
それでも唐突に怖くなる。
健康的な食事をしたいはずなのに痩せる為のヘルシーな食事を用意している自分に混乱し、「適正体重になったら母に甘えられなくなる。」という不安と葛藤した。
それでも脳はとにかく食べろと命令する。
0か100の思考。
0を少しはみ出すだけで「今日はダメな日」。
自暴自棄になり食べ続ける。
菓子パン、スナック菓子、アイスクリーム、コンビニスイーツ。
お腹が苦しくて痛いのに今しかないと詰め込んだ。
綺麗に生えていた髪は、過食症になってから抜け始め、誰がどうみても禿げていた。
栄養が足りたら食欲は落ち着くと信じていたのに、気づけば70キロ近くまで増えた。
髪が戻ればまた仕事を探さなくてはいけない。
社会にでなければいけない。
こんなに醜い姿、笑われるに決まってる。
拒食症のほうがずっとマシ。戻りたいと毎日思った。
気性が荒くなり、イライラして、怒ったり泣いたり、かと思えばハイテンションな日もありコントロールできなかった。
精神科をまわり3カ月入院することになった。
先生はみんな優しかったけれど「太っているから内心馬鹿にしているんだろうな。」「マニュアル通りに接しているんだろうな。」と思うことしかなく、いい方向へは進まなかった。
唯一安心して話せた栄養士の先生が「どうしてここにいるかわかる?」と問いかけてきた。
「病気を治すため。」
「そうじゃない。」と強く首を横に振った。
「"治す"っていうのは簡単じゃない。治るっていうのも違う。ただここで、正しい知識を付けて帰って欲しいの。」
治さないといけない、治すんだと思っていた。
多くの人が当たり前にできていることが何年もできなくて、惨めで恥ずかしかった。
もしかしたらこの先治らないのかも知れない。
でも、絶望的に悲観することではない。
「この病気と付き合っていく」
勉強すれば解けるとか、理屈でどうにかなることではない。何年も何十年も時間がかかる。でも本当に少しづつ、ときには引き返しながらでも「大丈夫」と思える未来には近づいている。
今の自分になるには途方もない時間がかかった。
何度も何度も死のうと思った。
過食したあとサッカーの予定があると、誰にも会いたくなくて大泣きした。友達にドタキャンもしてしまった。
色んなルールを作り、スケジュール管理のアプリは過食しない日数のカウントダウンと過食した日のスタンプ記録でいっぱいになった。
過食症になってから4年以上が経つ。
ここまできてやっと過食しても絶望的に落ち込むことがなくなった。
絶食や代替行為ではない健康的な戻し方を理解して、疲れていたんだなと労わる余裕もでてきた。
過食がなくなった訳ではないし、自由に食べたり外食もまだできていない。罪悪感で泣くことも全然ある。
それでも色んな付き合い方、受け入れ方が身についた。
食事がこの世の全てではなく、他に楽しいことや人と共有できることはたくさんある。
多くの出会いと踏み出す勇気で、見える世界が変わった。
中でも大きく影響したのは恋愛だった。
ゲームばかりで引きこもっていた自分が元カレに出会い、会いたいと言われて目標が決まり軌道に乗った。
数年経った今、Aさんと同じ状況になったときも、酷くなり始めた過食が嘘みたいに落ち着いた。
短期間で5キロ以上落ちたとか、絶食できたとかではなく、運動してタンパク質を摂食し、前向きに活動しながらダイエットできた。楽しめた。
世間一般のダイエットよりはストイック過ぎたかもしれないし、ルールに縛られてはいたと思う。
それでも知識がないまま拒食症、過食症に振り回されていた頃よりはずっとずっとわたしのなりたい「普通」に近づけたと思う。
摂食障害のひとは「普通になりたい。」と思いがちだ。
こんなことしているのは自分だけだと惨めに感じる。
「”普通”なんて存在しないよ。個性だよ。」
という言葉もたくさん聞く。
でも、わたしは「普通」になりかたった。
食事のせいで色んなことを諦めた。
恋愛だって、もっともっとありきたりなことで悩んで一喜一憂したかった。
食事以外の理由で失恋したかった。
今、ルッキズムが社会現象のように蔓延し、同じ病気で苦しむひとをネットでも見かける。
食べたときの異常な罪悪感、惨めな気持ち、寂しい気持ち、カロリーの恐怖、そしてこれだけ辛くてもやっぱり太りたくはない、拒食症でいたいという気持ち、全部全部痛いほどわかる。
拒食症が苦しいけど、治したくない、過食症から何年も抜け出せない、お先真っ暗で未来が見えない感覚もよくわかる。
全てがよくなる保障はないし、一生の付き合いかもしれない。
でも、絶対に全てがこのままなんてことはない。
少しずつ少しずつ、心の負担は軽くなる。
生きやすくなって、「これでもいいかな」「まあいいか」なんて思えることが増えてくる。
食べてしまっても失敗ではないし、甘えでもない。
お腹が空いたから食べた、それだけのこと。
どれだけ頑張って生きているか、同じ病気になったからわかる。
地獄より辛い毎日を本当によく生きている。
他人の意見や、専門知識に囚われずぎず、自分にとって心が軽くなることから試していってほしいです。
noteを通してわたしにできることがあればうれしいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?