3回目の煙草
一緒にごはんを食べていて世界一楽しいって思える人を手に入れちゃったんだなって悟った、34歳の夏。そんな今年の夏休みが終わってしまう。寂しくて、この後とかどうする?って最寄駅に着くまで聞けなかった。もうちょっとだけ一緒にいたいと正直に告げると、もちろんオッケーしてくれて、たどり着いたのはちょっとマニアックなバー。馴染みのバーは幾つかあるが、こちらは初めてなので少しドキドキする。
カットグラス越しの間接照明が孔雀の羽のような造形を創り出し、その模様の向こうにこの上なく美味しそうにラムを味わう恋人が見える。この幸福な重なりに、わたしは言葉を失う。
今では数えきれないほど会っている恋人がわたしの前で煙草を吸うの3回目なのと、自分のこと 僕 ではなく 俺 と言うの初めてなのとから推測される、彼の解放感に少し驚いているけれど、本当は人一倍強い感受性を消化するのには時間がかかるのに、普段極めて多忙な恋人の束の間の夏休みとは、きっとこういうことなんだろうと思う。
バーのあと「森にお邪魔するね」「オッケーもちろん。膀胱だけ今限界だけど。漏らしたらごめん」「いま東京乾いてるから漏らすくらいで丁度いいんじゃない?」「あー だよね、打ち水的な?」こんな会話してじゃれ合う感じもまた、夏休みなのだと思う。恋人は結局森に来て、梨と巨峰でカクテルを作ってくれている。
2017年8月28日
誰かに女として愛されるというのは奇跡。そしてこちらもその人を男として愛していることは、さらに奇跡。狭き門をくぐり抜けるようなこと。それを忘れてはいけない。魂の救いを求めるレベルで恋人に求めては決していけないと思う。恋人は救い主や神様ではないから。でも彼の気持ちがわたしに向いていると言う事実からそこを非常に間違えやすい。
ある意味でわたしは、いつもひとりで立たなければ。寒い日も暑い日も、この街の夜中をひとりで歩いているように。あるいは、ピアノの練習はいつだってひとりでしなくてはならないように。
そして、恋人にも彼だけの個人的な領域を大切にしてほしい。でも彼は本能的にそれができる人だ。心楽しく物事を共有する姿勢は、いつだって見せてくれるけれど。
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