映画感想:『ゴジラ キング・オブ・ザ・モンスターズ』はゴジラ教狂信者が作り上げた狂気の神話である(ネタバレあり)part1

先週最新作のゴジラ映画を見に行ったんだ。タイトルは『ゴジラ キング・オブ・ザ・モンスターズ』。プロメアと一緒に見に行くとかいろいろすごいことやっちゃったせいで、脳みそがオーバーフローして、書くべき感想のタイミングを明らかに逃してしまった。

はっきり言おう。名作を越えた神作、神話そのものだったと。

前作の2014年版『GODZILLA』の続編で、正直こっちの作品のほうはゴジラというよりかガメラみたいな雰囲気になっていて、ゴジラは地球の庇護者というか抑止力であり、ムートーという怪獣が目覚めたのを食い止めるというものだった。人間がフォーカスされすぎだったり、核に対する考え方を「威力のすごい爆弾」程度にしか考えてないかなぁとか少し疑わしい部分もあったりした。

が、今作はまるで違うぞ。
世界で一番俺たちが怪獣を愛して崇拝しているんだ』と声高らかに讃歌した怪獣狂信者たちが、無限の金と時間とをハリウッドの大規模レベルで壮大に注ぎ込んだ結果、出来上がったのが『世界最高の怪獣崇拝神話』である。加減なんか知らないぞ!! と言わんばかりに愛しかない。

ざっくりとしたあらすじを言っておこう。ネタバレ注意だな。
2014年のゴジラとムートーの争いにより、息子アンドリューを失ったエマ・ラッセル博士は夫であるマーク・ラッセルと別居し、娘であるマディソン・ラッセルと共に怪獣監視組織モナークの基地で暮らしている。
中国のその基地ではモスラの生誕が始まろうとし、エマは怪獣の鳴き声の調律装置『オルカ』によって怪獣の制御に成功する。しかしそこに過激派自然環境保護テロリストが現れ、エマとマディソンとオルカがさらわれてしまう。
動物学に長けたマークはモナークからの一方を受けて、前作にも登場した芹沢博士たちと共に妻と娘とオルカを取り戻そうとする。しかしテロリストが呼び起こそうとする南極基地の怪獣「モンスターゼロ」は、黄金の三首を持つ禍々しい竜は世界に厄災をもたらす存在であり、ゴジラもそれに応えるように目覚めるのであった……というお話。

こっから先は大いにネタバレしていくぞ。注意だ。

このエマ博士、過去のどの作品を見ても全く例がないくらいに『狂っている』。彼女たちの誘拐は仕組まれていたもので、エマ博士は自然環境保護テロリストと共に怪獣たちを呼び起こすのが目的だ。
なぜ怪獣に息子を奪われた母親が、怪獣を呼び起こして世界を滅ぼそうとしているのか? 全く理解できないこの狂気が最高峰なのであった。
以下にふせったーでのまとめを置いておこう。自分のメモだ。

 最初の悲劇は自分の息子であるアンドリューを失ったことだ。
彼女が自分の息子の死に対してどう受け入れるか。決して無駄ではないと考えたい。
 「怪獣によって人間が殺されるのは正しいことだ」という仮定に結びつく。
そしてあらゆる物証から「人間は地球を蝕むがん細胞のような存在であり、怪獣によって破壊されることで地球が再生する」という結論に結びつく。
さらに最悪なことに、それが正しい。
それに便乗しようとしたのが過激派自然環境テロリストであり、地球を治すために人間を滅ぼす最大手を打とうとするのであった。
誰からも許されることでもないだろう。自分の息子が怪獣に殺されたことを正当化するために人類を滅亡寸前まで追い込む引き金を引こうとするわけだ。
 しかし彼女に躊躇いはない。自分のやることは正しいと信じているし、科学的にも正しいのだから。
憎まれるなら自分がいくら憎まれようと構わない【究極の自己犠牲の狂人】であったのだ。
 だがその決断はもろくも崩れ去る。そのターゲットに選んだモンスターゼロが、最悪の存在だったからだ。
 モンスターゼロもとい「ギドラ」は外宇宙からの侵略者であり、地球の環境を再生させる役割は全くない。
 いわゆる「原種のいる池や川に放り込まれるブラックバス」のように原種を食い荒らして滅ぼしてしまうんだ。
「怪獣によって人間が殺されることは完全なる無駄である」なのが、ギドラだ。
 地球の怪獣の真の王がゴジラであるなら、偽の王がギドラであるのがそういうことだ。ギドラは完全なる異物なのだからね。
 この真実を知ったとき、彼女はどんな気分だっただろうねぇ。
 自分がやらかした行為は、息子の死を犠牲にするどころか70億人の人間を無駄死にさせ地球を滅ぼす罪!!! パンドラと称されるにふさわしい大悪事だったのだ。絶望的だろうよ。
 そこから彼女の行動は大きく変わって、亡くした息子よりも生きてる娘を助けようと動くわけだ。
 で、物語最終盤。壊れたオルカを治してギドラの注意を引けるようにして、さぁ家族全員合流してヘリで囮作戦だ……というところでエマ博士は自分の身を犠牲にして、夫と娘のいるヘリとは別の車に乗って決死の囮を断行する。
  間違いなく【自己犠牲の狂人】であったわけだ。で、なぜそうしたのだろう。
あの時点で彼女の精神はもうどうしようもなかったのだろう。自分の罪の責任の重さに押しつぶされそうだったし、自分の生きる意味すら見失っているはず。
 だから彼女は決して変わらなかった。
 ハリウッド映画にありがちな「物語を経て感情が変わって救われる」人物を捨てて、最後の最後まで「自分を犠牲にして誰かを救おうとする人物」であり続けたのだ。
 ただ、その対象は「将来の地球や人類」という曖昧なものでなく「夫や娘」に変わったから、ギドラから一人で逃げるという狂気的で最大のファインプレーをできたわけだ。
この、どこまでも哀れでどこまでも救われない狂気の悪役には拍手を送らざるを得ない。

彼女は当然ながら主人公ではなく悪役だ。そして狂っている。それでも魅力的な人物に表現できたこの作品はちゃんと人間ドラマを描けていると思う。
さーて本題の怪獣について……と思ったが1センテンスじゃまとまりそうにないわこれ。次回に続く!!



私は金の力で動く。