映画感想:『スター・ウォーズEP9 スカイウォーカーの夜明け』は神話的王道に帰還できた40年のSF英雄譚である。(ネタバレあり、前編)
ようやく回帰してくれた英雄譚
『スター・ウォーズEP9 スカイウォーカーの夜明け』を見てきたのでレビューしていこう。なおネタバレあり。そしてこれは明言しておこう。
私はそんなにスター・ウォーズの熱狂的なファンではない。
今回を見に行こうと思ったキッカケも「あのSF大作のスターウォーズなのだから古典を見る感覚で見よう」と思った以外の何者でもなかった。
それもそのはずで「EP7とEP8あんま面白くなかったからな……」と半分期待を裏切られたために半分失望し、そこまで有望視していなかった部分もあったからである。
どうしてEP7とEP8が面白くなかったのかは語ると長いし焦点がブレるし、とにかく期待半分で見に行ったEP9の感想を書いていこう。
王道を大事にしたSFで非常に楽しめる娯楽作品だった
まずこれを明示しておこう。
個人的に評価できると思った点は『立ち向かうべき試練の明確化』や『キャラの立て方の旨さ』や『対比構造や父親越えという古典的要素を大事にする』と言った所か。
後でも述べるが『過去作の負債とも言うべき要素』を力技で強引に投げた部分もありはするが、それでも40年続いたシリーズの物語の決着として描くあれば、こうするだろうと思った内容であったことかな。
個人的な主観が大いに含まれる部分だが「この場面ならこのキャラはこうやって動くだろう!」という予測や「ライトセイバーやジェダイの戦いならこういうのやっていいよね!」という期待を忠実に再現してくれたと思う。
スターウォーズのモスキート級なファンの私にとって『見たいものを見させてくれた娯楽作品』であったと言える。
※以下のトピックから本編ネタバレがあります。注意。
回れ右して劇場へGOしよう。イイネつけてくれてもいいのよ。
あらすじについては後日掲載の予定。早く記事を書き上げたいから。
神話的英雄譚の回帰
ジョージ・ルーカスはスター・ウォーズ執筆の折りに『千の顔をもつ英雄』という神話論の著書を参考にしたと謂われている。
こちらも解説したらまた別記事になるので軽く要約しよう。
『ギルガメッシュ叙事詩や日本神話、マハーバーラタやギリシャ神話といった世界中のあらゆる神話を分析し、英雄譚の構造分析をすることで民族や時代を超えて、人間の心に潜む普遍的欲求を明らかにしていく』という内容である。
つまりジョージ・ルーカスが普遍的欲求をSFに組み込むことで心惹かれるスペースオペラを作ろうと目論見て、それが大成功したのがスターウォーズというわけだ。
スターウォーズとは古典である神話的英雄譚と新鋭であるSFスペース・オペラの融合である。
この神話英雄譚にある構造の一つであり、スターウォーズでも使われたものが『父親との一体化』である。
英雄譚における最後の敵との対峙において、その敵や試練は父親であったり年長者であったり時には神など強い存在である。主人公の成長の成果を見せる象徴であり、彼を倒すことがイニシエーション的役割を持つのである。『ラーマーヤナ』でラーマがラーヴァナを倒すのがまさにそれ。
スターウォーズ初期3部作(EP4~6)で父親と言えばもちろんダースベイダー、アナキン・スカイウォーカーだ。
彼は主人公ルーク・スカイウォーカーの父親であり宿敵である。最強の彼を倒すことが主人公の試練であり、それを果たすことに我々は英雄性を見出し感動を覚える。だからこそスターウォーズは名作SFとして金字塔的存在になれた。
そして、今作EP9でも「父親」が出てくる。
主人公レイは帝国の初代皇帝であるパルパティーンの血を受け継ぐ者であり、復活したシスを復讐に囚われたレイが殺すことによりダークサイドに引きずり込み、女帝レイ・パルパティーンによりジェダイを終わらせ帝国を完成させるのがシスの計画だ。
つまり、イニシエーションの悪用だ。ここに私は心底痺れた。
神話的英雄譚の要素『父親との一体化』を用いることで名作になったスターウォーズが、その『父親との一体化』を悪用する最大の敵と衝突した時に如何なる答えを出すことができるのか。
そのような問いかけを行うストーリー構成を組み立てたことに私は感激したのである。
その結末を見たくば劇場へ向かおう。もしくは次のトピックだ。ここからもっとネタバレするので要注意。
絆の力という新たなテーマと、見たいものを魅せてくれる娯楽的英雄活劇
極めてディズニー的とも言えるが、今回はこれが非常に効いたと思う。
「仲間や人々を繋げる絆が強大な敵を打ち倒す」といういかにも在り来たりで陳腐にも聞こえるテーマだが、今作は集大成のスターウォーズということもあってか最終盤の「全員集合」には胸に響くものがあった。
夜から始まった戦いは恒星の日の出と共に「夜明け」を迎え、帝国戦艦隊相手に集うは「民間の個人船」が空を埋め尽くすほどに。
数少ない船の無謀とも言える突撃作戦からの援軍の登場には「40年の月日を経て集った人々」の重みを感じた。ここも個人的な感想だが、そう連想付けてもいいだろう。
そして同時に行われる最終決戦、シスとレイの決戦。
空を覆い尽くすシスの強大すぎるフォースに立ち向かうのは、長い年月の果に星に散ったジェダイたちの声を聞いたラストジェダイのレイ。
マスタージェダイルークの「フォースは君と共にある」の声を聞いて立ち上がらないわけにはいくまい。
そしてライトセイバーを目にして想像するなら一度はしただろう、掟破りの青いライトセイバーの二刀流!
こんなことしてくれちゃあもう勝つ以外ないだろうというか、無理をぶっ飛ばして結集したものを見せてくれる喜び。私はああいうのが大好きなのでEP9は非常に素晴らしい作品になったのだと思っている。
ただ一方で「スターウォーズらしいか」と言われたら古くからのファンにとってはゴリ押しが強すぎるだとか、スペースオペラを逸脱とかフォースの設定が云々という話にもなるかもしれない。
そういう意味で、今作『スカイウォーカーの夜明け』はライトなSF冒険譚を受け入れられる人には多いにハマるが、ヘビーなスペースオペラ信仰者やSWフリークにとっては食い違う作品になっていると思う。
そこを踏まえた上で、私はこの作品を大好きなSFだったと胸を張って言いたい。
一足早いがここで一旦筆を置こう。ここまでで前編としよう。
EP7や8への不満、EP9につきまとうネガティブな部分は次回書き記す。
追記:書き上げちゃった。
ここから先は一番いいシーンであり、素晴らしいと褒める理由はこの結末を見たからだ。
「そう!! 君はこう言うべきなんだ!!」
それでいいんだと強く同意できる段違いの説得力に、愛を感じた。
全てが終わって
戦いが終わって、砂に埋れた星に訪れるレイ。
ルーク・スカイウォーカーの家に訪れた彼女は、ルークとレイアのライトセイバーを包み封印するかのように深い地中へ埋める。
自身の黄色のライトセイバーを灯して次の戦いを示唆しつつも、通りすがりの老婆に名前を尋ねられる。
そして蜃気楼のように浮かぶルーク・スカイウォーカーとレイア姫の姿。まるで慈しむかのように優しげな笑みをレイに向けている。
名前のなかった、ただの「レイ」はこう名乗る。
レイ・スカイウォーカー。
夜明けの空には二つの太陽が昇っていた。
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