映画感想:『ゴジラ キング・オブ・ザ・モンスターズ』はゴジラ教狂信者が作り上げた狂気の神話である(ネタバレあり)part3
前回のあらすじ。ネタバレ前回だから気をつけよう。
ゴジラにキリスト教的エッセンス加えて神としての際立ちを強調させるとか本当に狂信者だなぁドハティ監督!!
と前置きはここまでにして3回目始めるよ。
今作のゴジラKOMで特に紹介すべきところである大乱闘怪獣ブラザーズと、それをどこまでも押し上げてしまうほどに最高完璧の音楽について合わせて説明しようか。
・怪獣たちの戦闘が神の衝突
怪獣ともはや呼べず、彼らの対決はもはや神々の戦でありラグナロクである。
かつてゴジラが作られた時代には、映像とは「そこに存在するもの」しか撮影できなかった。だからこそ幻想を描くためには1コマ1コマ人形を動かしては撮っていって動いてるように見せかけるクレイアニメーションなり、人サイズの着ぐるみに入って怪獣が生きてるように動くなどの工夫が必要だった。それがすなわち活動写真であり特撮であり。虚構を現実に表現するためにはそれだけの努力が要るのだ。
で、時代はCGとなる。もはや人の呼吸ができない宇宙空間、星々の爆発、はてはブラックホールの描写すら人はできるようになったのだ。
そんな時代に作られた、最高の予算と時間をふんだんに注ぎ込まれたのが怪獣たちだ。
三つの首を揺らぎ動かす最恐の邪竜たるモンスターゼロことギドラであったり、超巨大でマッシブな風貌を持つ地球の守護者たるゴジラであったり、溶岩から目覚め現れ燃え盛る翼と衝撃波で空を駆けるラドンであったり、眩く光と荘厳な歌で見るもの全てを魅了するモスラであったり、彼らの姿が現実とまごうことなき迫力でスクリーンに現れ、戦うのだ。
天が荒れ、嵐が吹き、雷撃が貫き、世界が燃える。そういった驚天動地の地獄の中で、怪獣たちは猛然と荒ぶり破壊し蹂躙し尽くすのだ。人間なんて足元で見ることしかできない!
前回も言ったように、この映画はゴジラ狂信者が作り上げた宗教映画だ。ゴジラを崇めよ、ゴジラを讃えよ、怪獣の王はゴジラである。
荘厳でありながら美しい戦いに、ただただ圧倒されるしかない。その瞬間にあなたはきっと、スクリーンの前の席ではなく巨大な怪獣たちの足元に意識が転移されている。物語の没入をどこまでも押し付けてくる宗教映画がこのゴジラKOMだ。
・音楽は神々を崇める讃歌となりて、歴史を言祝ぐ
そして忘れてはならないのが、音楽だ。
今作は前作のハリウッドゴジラとは違い、音楽が凄まじい。原作の音楽をたっぷりと使っているんだ。原作ってなんだ? そりゃゴジラさ! 公式が楽曲をアップしてるようなので紹介しておこう。
伊福部昭さんのゴジラのテーマソングが作中で荘厳に流れる。しかも大胆なアレンジが加えられており「ソイヤソイヤ!」の男たちの荒ぶる掛け声が入る。まるで祭りなのである。ゴジラとは神であるのだから、神を讃えそれを祭り上げるのであればこれ以上にふさわしい音楽はない。
対するモンスターゼロ、ギドラに対してもBGMで密教めいた般若心経めいたコーラスが用いられており、どうしようもないほどに神としての威厳を高めていく。古来より東洋では龍は神聖なものであり、モンスターとは一線を画する存在でもあった。
しかし眼の前にいるギドラは明らかに異様なのだ。金色に輝く姿、見るものを恐怖に陥れるその龍の三首もその強さも人智を越えている。しかしそれでも、般若心経が流れることで神格化を脳裏に植え付けられるのである。こいつはやはりキングなのではないか?と。
ギドラは僭王であれど、やはり神には相違ないのである。
モスラに至ってはもはや感涙を流してしまいそうであった。
1978年の古関裕而作曲の、ザ・ピーナッツが歌っていたあの歌のメロディが、フルートを主旋律とした華美にしてスピリチュアルな奏曲へと変貌していたのだ。神々しく輝く暖かく優しい光と、巨大な羽を広げて優雅に鱗粉を散らせて空に佇むあのモスラの神秘性をどこまでも高めていた。
逆に異質なのがロダンもといラドンだ。
彼の場合は神としての側面よりも純粋に怪獣としての側面をより強調されているらしく、わかりやすくおどろおどろしいスリリングな曲のテイストとなっている。後述のパートでいろいろ書く予定だが、ラドンはそういう存在なのである。
ゴジラシリーズには60年の歴史があり、その中で紡がれた音楽という歴史がある。ゴジラKOMではそれすらも利用して、いや尊重して讃歌として神話を語り継ぐための要素に高めたのであった。
今や世界中であの雄叫びを聞けばゴジラという怪獣を想像できるように、この映画によってあれらの音楽は怪獣という神々の闘争の厄祭を祝い奉る神歌となったのだ。
どこまで狂信者なんだよドハティ監督、もといこの音楽を作った者たちは!!
とにかく、この狂信者による狂信者のための狂信的な怪獣映画を見終えたあなたはきっと、怪獣とゴジラに対する認識が変化するだろう。
地球はゴジラのものであり、我々はゴジラの足元で辛うじて生きるものである。ゴジラとは怪獣の王であり、神であると。
ゴジラを讃え祭り上げよう。この映画はまさにそんなお祭り映画なのだ。
まだ続くかもしれないがひとまずここで筆を置こう。
続いちゃった。
私は金の力で動く。