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預言探偵クダン #1


 一発の銃声が屋敷内に轟く。

 絶海の孤島に立つ屋敷のエントランスホールで惨劇は起きた。
 麗しき令嬢は仰向けに倒れ、真紅の血潮が床面に広がっていく。左胸に弾丸を受けて即死した令嬢はピクリとも動かない。男の握る拳銃のマズルから白い煙が細く揺らめいて立ち昇っている。

 九断士郎(くだんしろう)は慣れた手付きでオートマチック拳銃を分解する。スライド、グリップ、弾倉に分けて、そのまま床に静かに置いて蹴り飛ばす。銃の部品は床面を滑って、呆然としたまま立ちすくむ観衆の足元で止まる。
 老紳士、メイド、片眼鏡、若者その他の人間が信じられないものを見たような表情のまま硬直している。九断はおもむろに両手を上げ、声高らかに叫ぶ。

私は殺人犯です。どうか監禁してください!

 『名探偵』九断はただちに取り押さえられ、拘束された。


    ◆


 九断が地下の牢屋に監禁されてから三日が経った。

 鉄格子の向こうで鋼鉄のドアが音を立てて開くと、老紳士が入ってくる。老紳士はパンやビスケット類が入ったトレイを抱えていて、鉄格子に備え付けられた小さな戸口から差し入れる。九断はトレイを手元に引き寄せて、牢屋の壁に背を預けて座る。
 老紳士の方から声をかけてきたことにより、沈黙は破られた。この三日で話しかけられたのは今回が初めてだ

「なぁ探偵さん。あの子に恨みでもあったのかい」
「いや、俺はたまたまこの島を訪れただけだし、あんたらの誰とも初対面だ。正直言うと名前もしっかり覚えていない」
「余計にわけがわからない。見ず知らずの赤の他人を動機もなく殺せるものなのか?」
「必要とあらば、俺は誰だって殺すよ」
「……あの子は私の娘でね」

 老紳士は小さく息を吐く。
「孫ぐらいに年が離れてるだろう? 年を取ってからの隠し子さ。言おう言おうと思っても、父親が私だと世間にバレてしまえばあの子がおしまいさ。だからこの秘密は墓場まで持っていくつもりでいたんだが……」

 老紳士は苛立たしく鉄格子を拳で殴ると、低い声で九断に尋ねる。
「もう一度聞く。何故、私の娘を殺したんだ?」
「言ったろ。あんたらとは初対面だし、誰が死んでもよかったって」

 やってられん。そう小さく呟いて、老紳士は怒りを押し殺したような荒いため息を吐く。老紳士の冷ややかな視線を浴びながら、九断はビスケットを貪り食らう。

「答えたからこっちの質問にも答えてくれ。この三日、この島に異常はあったか」
「……台風は去ったから、明日にでも迎えの船が到着する。警察も一緒に来るから、私達はあんたを引き渡す。それで終わりだ。君は罪を償え」
「そうか……つまり『令嬢を殺したら何も起きなかった』んだな?」

 九断は口にいっぱいになったパンを水で流し込むように飲む。老紳士は怪訝な表情で九断の顔を覗く。

「犯人は『紅木玲子(あかきれいこ)』で決まりだ。あばよ爺さん。飯を届けてくれてありがとう。今度はあんたと、娘さんの生命も救うよ」
「一体何を言ってる、それに名前は知らないんじゃ……!?」

 九断の口から血が吹きこぼれる。
 苦悶を顔に浮かべながら血反吐を吐き出し、牢獄の石床に倒れる。全身が痙攣し、吹きこぼれる血液に細かい泡が混じる。

「す、すぐに誰かを呼んでくる! 持ち堪えてくれ!」

 老紳士がそう叫んで遠ざかっていく姿を、九断はぼやけた目で見送る。
 臓腑が焼け落ちるような激痛と、自分の血で溺れる苦痛を甘受しながらも九断の脳内は冷静だった。

 今しがた手に入れた情報は真実に迫っていた。老紳士は令嬢の実の父親であり、令嬢が死ぬと『老紳士を含む』一連の連続殺人事件は発生しなかった。これらが指し示すのは令嬢が犯人濃厚であること、そして令嬢の単独犯であること。その情報を手に入れたのだから、有効に活用しなければならない。

 だから九断は、口に仕込んでいた毒を飲み込んだ。
 自分で死ぬのだからもっと楽に死ねる毒にすべきだと思うが、それは許されない。
 たとえこの世界が消え去るものだとしても、自分が令嬢を殺した罪は変わらない。だからせめて死に際には罰を受けなければならない。だから一番苦しんで死ねる毒を自殺用に選択している。

 全ては自己満足でしかないし、単なる偽善だし、言い訳だ。自分が苦痛を味わえば贖罪されるという甘ったれた思想だ。文字通り血反吐を出しながら自身を嘲笑う。
 それでも、誰かを救いたいという気持ちを偽りたくない。
 この痛みは自分への誓いだ。

 溢れ出した血の中で溺れるように、九断は暗い牢屋の中で絶命した。


    ◆


 そして三日前に戻ってきた。
 島の空は曇天に覆われて、雲の流れは早い。嵐が近づいている証だ。船のタープから降りて見上げると、崖の上には曇天を背に抱えた屋敷がそびえ立つ。その場に立ち止まっていると、背後から老紳士が声をかけてくる。

「若いの、大丈夫かね?」
「ああいえ、お構いなく。考え事をしていました」
「そうかい。この島に我々以外に訪れる人間は珍しいことだからね……私は青樹誠治(あおきせいじ)だ。君は?」
「九断士郎です。執筆を生業としています」
 青樹と名乗る老紳士は静かに微笑みを返す。

「もし暇な時があれば私が話し相手になろう。短い滞在期間だろうけれど、よろしく頼むよ」
 青樹の差し伸べた手に握手を返す。まるで初対面のような数度目の出会いを果たす。老人が道の先を行くのを見届けると、九断は対峙するかのように崖の上の屋敷を仰ぎ見る。

「今度こそは、誰ひとり殺させやしない」

 自分に言い聞かせるように、探偵九断は呟いた。

【続く】

私は金の力で動く。