支配するということ
人間には支配欲というものがある。
まず、それは自分自身に向かう。
性欲や睡眠欲、食欲といった三大欲求から始まり、
様々な雑念を取り除いてなりたい自分になるために努力を重ねる。
そういった行動の継続には自分自身の支配が必要だし、
そういった欲求が少なからず(きっと多くの人に)あるはずだ。
(ただし、そういった自分のコントロールがが簡単だとは言っていない。)
一方で、他人へ向かうのも支配欲の特性だろう。
先に自己への支配欲を述べたが、
この他者を支配したいという欲求こそ
往々にして人間が持っているものだと認識している。
私事で恐縮だが、
私の母もまた自分の子供を支配したがるような人であった。
私よりも酷な運命を辿ってきた方もいるだろうが、
私もそれなりに苦労の多い青春時代を過ごしてきたつもりだ。
しかし、被支配にどんなに苦労して、私だけは同じ轍は踏むまいと思っても
その特性は先天的か、はたまた後天的にか遺伝してしまうらしい。
そんなことをネットで知った私は、子供は決して生むまいと心に誓った。
支配する対象さへいなければ、
自身の支配による被害者もあり得ないだろうと考えたのだ。
物事はそう単純ではなかった。
自身の子供でなくても支配する対象は存在する。
例えば会社の部下や後輩がそれにあたる。
かく言う私も今年度、二人の後輩ができた。
今年、社会人二年目になる私にとって初めての後輩だ。
とはいえ、同じ部署ではなく、
同じ拠点で仕事をしている程度の距離感である。
ただ、あまり大きくない会社で、
お茶出しや、消耗品の管理といった雑務は、
新人が担うような環境であったため、
昨年度それを担当していた私は、
二人の新人に細々とした雑務を引き継ぐ必要があった。
引継ぎ自体は何事もなく終わった。非常に簡単だった。
時々、新人の質問に答えつつも、
基本的には一方的に業務について説明するだけだったからだ。
問題はそのあとだった。
雑務では他部署のやり取りが必要なのだが、
その内容の一つ一つが気になって仕方がなかった。
ここが言葉足らずだとか、この敬語が違うので修正して方がよいだとか、
終いにこのように送った方がよいといったような、
これから送る内容についても口を出すようになった。
(無論親切心からで、怒った口調だったわけでもない。)
その時にはっとした。
もう彼らに業務を引き継いだのだし、
たとえ言葉遣いや手続きが間違っていたとしても、
やり取りの相手が修正してくれるわけで、
私が首を突っ込んでまで修正する必要など全くなかったのだ。
私がいたのは支配の過程であった。
やはり血は争えないのであろうか。
遺伝でなければそれ以外の環境要因があったのか、
はたまた、私が生来のクズであったのか。
原因は神のみぞ知ろう。
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