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OFFICE TOSHIKI NASU/西洋医学と東洋医学の違い


西洋医学と東洋医学の違い

今回は「西洋医学と東洋医学の違い」について紹介させていただきます。

さて皆さんは「医療の本質」について考えたことはありますか?

こんな話をして答えはないんですが、ただ「患者満足度」「対話と承認のケア」「ケアの倫理」といった施術者側について書かれた本を読んでいると、1つの部分にいきつきます。


誰かが近くにいるということ

私は介護福祉を学んだことで、誰かがそばにただいるだけで良いと実感しました。

もちろん、犬や猫がいてくれるだけでも幸せですし、心が休まりますよね。

私は病院や鍼灸院だからといって「痛み」を取ることだけを目的にするのではなく、言葉を使わずとも一緒にいて安心できるという動物本来の方法が医療の本質ではないかと思うのです。

というのも、辛いとき、悲しいとき、傷ついたときに言葉は必要でなくなるし、ただ一緒にいて背中に手を当てて撫でるという原始的な手当で人は癒されます。

そんな考えになったきっかけは母の存在です。
私は幼少期に病弱だったため頻繁に発熱していて、原因不明の高熱が続いたことがありました。そんな時にいつも母がそばに居てくれました。

西船橋から国道14号線を手を繋いで歩いて向かった船橋中央病院。
その時に何を話したかは覚えていませんが「大丈夫だよ」とかけられた言葉は覚えていて、いまではその言葉を使う側になっています。

大それたことはいえませんが、あの時間が医療の本質を知るきっかけになったのだと思います。

とはいえ私は無宗教ですし、どう生きたいという考えはもっていません。
人に対してこうしたい、ああしたい、という目的もありません。

ただ、人間、動物がもつ本能である相手を温める手をもっていたいし、温かい空気を作りたいたいです。

「なぜ」をつきつめてみると

私が好きな作家さんで軽井沢病院院長の稲葉俊郎先生は、いのちの根本の問いに対して「なぜ?」を突き詰めていくと、神話や物語や宗教の世界に出会い、「なぜ?」を突き詰めていくと物理学や化学や医学などの自然科学の世界と出会ったと紹介しています。

あなたが西洋医学を取り入れる理由はなぜでしょうか?
あなたが東洋医学を取り入れる理由はなぜでしょうか?
あなたが統合医療を取り入れる理由はなぜでしょうか?

ある医師は西洋医学こそが正しいと思い、ある医師は西洋医学に疑問を抱く。

なぜこの世界から病気は無くならないのか。

あなたが正しいと思っている西洋医学は物事を分析・理解により根拠に基づく医療を実践するから正しい。

けれど痛みがあっても、苦しくても、数値に現れなければ何でもないし、気のせいであったり、自律神経のせいであったり、疲労という形で片づけられてしまう。

結局のところ分からないことは分からない。

これは西洋医学を批判するのではなく、風邪の消炎鎮痛剤、肩こりの筋弛緩剤、高血圧の降圧剤血圧も同じことだと思うのです。

目に見えることが正しいではない
目に見えないことも正しいのではないか

例えば車を修理する場合。
タイヤのパンク、エンジン故障、電気系統の故障が見つかったとします。

西洋医学の方法では投薬と手術を特徴としますから、これらの問題を部品交換により直すとしますよね。

しかし理論上では各問題を改善すれば以前のように走るはずなのに走りませんでした。

それは何故でしょうか?
その理由は西洋医学では「人」は介入しないからです。

病気を発症するのは人であるにも関わらず、人がもつストレスや痛みといったものは合理性、普遍性、客観性、再現性に乏しく曖昧なため、分析・理解ができないという特徴があるのです。

一方で東洋医学が車の修理をする場合。
人という個体差を調べます。そして住んでいる地域も確認するでしょう。

その理由は運転による習慣、海岸沿いなのか山沿いなのか、都心なのか、普段使いなのか、週末に乗るのかという情報が修理に必要な情報だからです。

そしてこれらの情報をもとに細かく調べると、意外にもタイヤの空気が入っていない、オイル交換をしていない、ネジが外れていたということが故障の原因であったりするのです。

ではなぜそのように視るのか。
それは東洋医学が、総合的、主観的、精神的、心情的、個別性を重視していることがあげられます。

時間をかけて気づいたこと

これは特別なことを言いたいのではありません。
個人的には論理的に考えたいですし、心情というものに左右されることなく物事をひいて観るように心がけています。

けれど、このことに関していうと何となく見えているものがあるのです。
それは「愛」という見えないものが結果として医療には必要不可欠だということ。

みなさんはきっと西洋医学は科学(デカルト科学)であるからこそ治療法として選択するのでしょう。

そのことは間違いではないし、世界は沢山の恩恵を受けてきました。
ただ、改めて考えると西洋医学の目的は「抑え」「取り除く」ことですから心情は置いてけぼりになります。

ある人は病気の説明を受けたいのはなく寄り添って欲しい。 
それだけで救われるし心が軽くなる。

けれど合理性、普遍性、客観性、再現性を中心に考える西洋医学では、心という曖昧なものは加味されないのです。

こうして考えると占いやトンデモ療法というものに人が集まる理由は明確であって、鍼灸院や整体院に人が訪れる理由も分かるでしょう。

ですから西洋医学に携わる人々が東洋医学を批判する理由はこの部分が大きく占めると思います。

最後になりますが、私は20年近く人が鍼灸を好まない理由を考えてきました。

だからこそ鍼灸師は西洋的に合理性、普遍性、客観性、再現性を求め、総合的、主観的、精神的、心情的、個別性を重視するべきだと思い行動してきました。

ただし、多くの鍼灸院はそのどちらかに偏りますし、どちらが正しいということはありません。

自分がどのように生きたいか。
そのことに尽きるのだと思います。
同調圧力にではなく「自身が何を求めて選択するか」。

それによって答えは変わります。

ただし
西洋医学に東洋医学に求める。
東洋医学に西洋医学を求める。
というのは難しい。

その理由は目的が異なるから。
だからこそ「自身が何を求めて選択するか」を改めて考えて欲しいと思います。



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