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センスといわれるものの正体

#とは  というお題があったのでやってみる。

皆さん、センスはあるだろうか。

こう聞かれても自信を持って「はい、あります」と言えるのは本当に限られた人で、僕もその中の一人だ。ただ、ここで挙げたいのは音楽、服飾などの芸術的センスではなくて、普段の仕事で上司から言われたことがあるであろう「お前、センス無いな」という時の仕事のセンスである。

僕自身も同僚、後輩にこいつ仕事のセンスが無いなと思うことがままある。しかし、「君、センス無いよね」なんて言おうものなら、モラハラだとかパワハラだとか言われかねない。このセンスと言われるものは一体何なのか考えてみることにした。

センスは「知識の有無」と言い換えることができる。仕事で言うと文章の作り方や論理的思考、プレゼンテーションについて知識のある人の作る資料は見やすいし、ある分野でセンスのある評論家と言われる人たちも、これまでにとてつもない数のその分野の知識と対峙しているはずだ。

センスは努力と経験で培われるというのは、後天的に習得できるということなので素敵に聞こえはするけれど、センスを磨くためにはある程度の時間が必要と言うのは覚悟しないといけないのだろう。

特に僕が関心があるビジネスセンスと言うものは割と曲者で、既存の経営学のフレームをどれだけ知っているかとか、企業の成功・失敗事例をどれだけ知っているかということでもあるんだけれど、MBAで勉強しても成功しない人がいるのはどうしてなんだろうか。

センスとは知識の有無、目利きの力だとも言えるかもしれない。目利きの力だけでは、何かを創造していくことは難しいのではないだろうか。簡単な例えで言えば、市場で良い魚がどれか目利きは出来ても、料理のスキルは別だということだ。

センスという言葉の側面として、何かを創造できることを挙げる人もいるだろうが、僕は創造には意思の力のような別のものが作用しているように思う。先に挙げた資料の作成が上手い人は文章作成や論理的思考の知識があると言ったが、創造的作業の中にも強い意志の要るものと要らないものがあって、目利きと創造が一体化している事象とそうでない事象に分かれているのではないだろうか。ビジネスセンスということであれば、いい会社を目利きは出来ても、いい会社を想像できない人がいるのは意思の力によるところが大きいと考えることもできる。

頭が疲れてきたので今日はこの辺でお開き。

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