人の顔はすぐ忘れる癖に、人にはよく覚えられてて怖すぎるというお話。

大前提として、僕は人の顔を覚えるのが苦手である。小学校の卒業アルバムなんかを開いてみても、殆どが磨りガラス越しのようにぼやけて感じるし、懐かしさなんてものは微塵も湧いてこない。すっからかん。セ○ンイレブンのお弁当くらいすっからかん(あれは許せない。この前豚の塩だれ丼ワクワクしながら開けたら、思わず「キィー!悔しい!」って言いそうになった。)

どうしていきなりこんな事をベラベラ話始めたのか、というと最近小学校の頃の知り合いに話しかけられることが多いからである。本当に多い、多すぎる。

あれ?俺実は人気者なんじゃね?と錯覚するくらいには多い。

もちろん話しかけてくれるのはめちゃめちゃ嬉しい。でも、高確率で思ってしまうのは「え?誰?怖っ!」とか、しまいには「マルチ商法の勧誘か?」とかだ(失礼極まりない)。

基本的に「覚えてる?」って聞かれた時には、僕は自分でも驚くくらい快活に「久しぶり!」「覚えてるよ!」「元気にしてた?」の三連パンチをお見舞いしてやるのだが、正直なところ全てのパンチは、覚えていない事を隠すための防衛策である。それ以上踏み込まれると、僕は「んふふふ〜」だの「うんうん」だの「ふ〜ん」だの相槌の中でも大分等級の低い相槌しか発する事ができなくなる。

どうして話し掛けてくれたのか、気になってしょうがない。知り合いに、「何でわかったの?」の恐る恐る聞いてみたのだが、どうやら僕はぜんっぜん見た目が変わっていないらしいのだ。

それを聞いて僕は「え?まじ?それまじ?本当に?まじやば!」と数年前のステレオタイプなJKもびっくりな語彙力で返してしまった。僕の中では顔はめちゃめちゃ変化したし、身長も伸びたし、ムダ毛も増えた(これはいらない)から、見た目が変化していないなんてことはあり得ないはずだったのだ。

そして僕は、この状態がどうやら厄介極まりない状態であることに気がついてしまった。

一方的に他者から認識されてしまっている。この考えがひたすらにしがみ付いてくる。相手に認識されるだけで、相手を認識することの出来ないということに、僕は不利状況に置かれているとまで考えてしまっている。「どうしよう」「変な行動してないよな」「店員さんに変な態度取っちゃったりしてないかな」と一種強迫観念に悩む。もちろんそこまで気にされていない事なんて分かっている。

だけど常日頃ただの1MOB(ただ居るもの)として動いている僕にとって、他人から「歩く人間」ではなく、「歩く〇〇(僕個人)」として認識されている事実は、それだけで外出の気軽さを失わせるのには十分なのである。

終わり。

(追記)「ムダ毛」って本当に「ムダ」な毛だよね、「ムダ」の名前に見劣りしない程度には「ムダ」(ブラジリアンワックスでごっそり抜いたろうか)









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