無しのぼやき

気分で色々書いたり書かなかったり。 うめぇもんくいたい。

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最近の記事

最高な一日とピッツァトースト

beep!!beep!! 午前10時00分最高に下品な目覚ましで俺は目覚めた。 beep!!beep!!あまりにしつこいので CRUSH!! 下品な目覚まし時計ごと黙らせてやった。俺はジョニー。趣味はかけっこ。好きな食べ物はタコベルのセットについてる、あのカリカリしたうめぇスナックみたいな奴。あれは最高にうめぇよな!ディップ馬鹿みてぇにかけて食うのがおすすめだぜ!え?あれナチョチップっていうのか??なんかナチョスみてぇな名前してんな?あ、ナチョスみてぇな名前っていうと、あ

    • 従順な消費

      これはお気持ち表明なんですが、何見ても何円か気にしちゃうのってしんどい。 〇〇に行こう、夏休みに入って良く思いました。きっとその〇〇には新しい体験があって、知らない分子が集まって出来ていて、急に視点が写ってくれるんじゃないか、わくわく、などと思っていました。そうして別視点から普段の僕を省みて、カタルシスを感じちゃったりするんじゃないかと期待してました。 でもやっぱり消費しちゃった。 〇〇に行きました、スタンプがポンッ。 〇〇を食べました、スタンプがポンッ。 ミッションクリ

      • 清潔融解

        目蓋が空いて、 身体が起きて 清潔な洗面台に向かって 綺麗な水を顔面に浴びせる 脳味噌が起きて、 不浄な洗面台に再び向かって 綺麗なジェルを顔面に塗りたくる。 髭剃りを持って、 不浄な洗面台に向かって 綺麗に曲がりに沿わせてく 不浄な洗面台を見直して 清潔な顔面が現れて ちょっと筋を緩ませて、 コンタクトレンズを眼に押し当てて 精細な光が脳味噌に届いて 綺麗を解釈して、清潔を探して、不浄を見つけて 洗面台に向かって、鏡を見て、もっと見て、不浄を

        • 人の生活を嗅ぐ、

           これはもしかすると(いやもしかしなくとも)、少し気持ち悪いと思われるのかもしれないのだが、私にはある趣味がある。「お散歩」だ。  「お散歩」というとかなりかわいく、かなり微笑ましく聞こえるが、正確には全く知らない住宅地を歩き、そして道に漏れ出た生活臭を嗅ぐという「お散歩」が好きだ。もちろんこの「お散歩」は住宅街を闊歩するだけで全く法には触れていないし(触れる訳がない)側から見てもその気持ち悪さは見えないのかもしれない。ただ、私は知らない場所の生活臭を嗅いでいる。大変気持ち

        最高な一日とピッツァトースト

          圧と寡黙

          私は「圧」に弱い。「圧」をかけられると脳味噌のどこかが粉微塵にされたのでは無いかと思うほど、思考と身体の接続が悪くなる。ここ一、二年は「圧」から無縁の存在だった。クソッタレウイルスのお陰様で、見事に外部の人間と隔絶されていたからだ。ただ今日久しぶりに「圧」にであった。案の定接続不良を引き起こし、やっぱり今日は酷い日になった。 今日は仮免前の技能教習の総仕上げだった。教官の名前は歴史人物にいてもおかしくない程の威厳ある名前で、正直名前を見ただけで、「もう帰りたい」と思っていた

          「ほっとゆず」か、「ほっとれもん」か。

          西武線で電車を待つ。 夜の西武線で電車を待つ。 夜の西武線で上からも下からも主張してくる嫌味な冷気に、震えでどうにか対抗しながら電車を待っている。 後十分でくるようだ。時刻表が示している。日本の時刻表は正確だ。 寒い。何かじんわり染みるものが必要だ。自販機の白電光が横目に入る。そうだ。温かいものを買おう。 いや。自販機の表記に添うならば、あったか〜い飲み物と言うべきだろうか。 ちゃりん。自販機に小銭を食わせてやる。奴は嬉しそうにウィ〜ンと鳴いてくれる。いまかいまか

          「ほっとゆず」か、「ほっとれもん」か。

          道具を使うだけ人間の完成

          「僕は果たして何を学んだのだろうか?」と思うことがよくある。僕は現在大学生になってしまったのだが、度々自身の発展の無さに気付かされる。もちろん卒業できる程度のテストの点数はとったし、英検も漢検も2級程度ならとった。でもいつも、果たしてこれは学習なのか、道具の使い方を教えられただけに過ぎないのではないかと思う。正しい文法を使い、正しい言葉を使う、ただその反復をしているだけだ。 道具を使うだけの人間になってしまったのは、中学受験を初めてからだろう。中学受験を始めてから、常に点数

          道具を使うだけ人間の完成

          人の顔はすぐ忘れる癖に、人にはよく覚えられてて怖すぎるというお話。

          大前提として、僕は人の顔を覚えるのが苦手である。小学校の卒業アルバムなんかを開いてみても、殆どが磨りガラス越しのようにぼやけて感じるし、懐かしさなんてものは微塵も湧いてこない。すっからかん。セ○ンイレブンのお弁当くらいすっからかん(あれは許せない。この前豚の塩だれ丼ワクワクしながら開けたら、思わず「キィー!悔しい!」って言いそうになった。) どうしていきなりこんな事をベラベラ話始めたのか、というと最近小学校の頃の知り合いに話しかけられることが多いからである。本当に多い、多す

          人の顔はすぐ忘れる癖に、人にはよく覚えられてて怖すぎるというお話。

          髭が厄介でしかないというお話

          男性のほとんど、もしくは女性の中にも、皆んな思うことがある。そして僕も毎日嫌という程思う 「髭って邪魔じゃね?」 この髭というのは我が身の一部であるということを否認したくなるほど厄介で寝ても起きても付き纏い不快感を与え続ける、呪いの装備みたいなものである(しかも別に生えたところで何のメリットもない)。誰が呼んだわけでもないのに、朝鏡をみてみれば、俺より生き生きと頭首揃えて待っているではないか。豆苗みたいに収穫すれば美味しい料理になるとすれば別だが、この「髭」どもは収穫した

          髭が厄介でしかないというお話

          「エモい」は限定的

          皆さん。最近「エモい」って言葉よく耳にするじゃないですか。(大分前からだとか言わないで) SNSを開いてみれば「エモい動画」「エモい絵」「エモい音楽」(そろそろ「エモいのゲシュタルト崩壊を起こしそうになってきた。)その果てには「エモい声」なんてものもありますね。ほんっとに意味がわからない、さっぱり分からない。もう考えたら脳みそが煮出されて味噌汁になっちゃいそう。 で、本題に入ります。もうそこら中に「エモい」が転がって大氾濫を起こしているけど、「エモい」ってどう言うこと?で

          「エモい」は限定的

          容姿の疑問 容姿の不満 秤にかけて、しまうもの

          「容姿」ほど相対で決まる価値は無い。「美人」は「美人」という絶対的な物であるかのように扱われるが、それはいつでも個々人の「〜と比べて」が付き纏う。「絶対的美少女」より、「相対的美少女」の方がしっくりくる(しかしながら、「絶対的美少女」という言葉は、どうやらA○タイトルにしか浸透していないらしい。先ほど検索をかけて度肝を抜かれた。) 簡単にいうと容姿は他と比べた価値である。※どうやらこの価値、特に顔の価値が高い人は、比べる対象全体の平均の顔らしい。「整った顔」とか「バランスの

          容姿の疑問 容姿の不満 秤にかけて、しまうもの

          果たしてこれはエッセイなのか

           おそらくこの文に、僕は#の後に「エッセイ」とつけている。そもそもエッセイが何かわかっていない 「essay」日本語で訳すと「随筆」だろう。で、ここで僕はわざわざ日本語である「エッセイ」を英語に変換し、その上でわざわざ「随筆」の二文字に変換したわけだが、これには全くの意味がない。意味が「ありげ」なだけだ。是非とも忘れていただきたい。自分で書いててめちゃくちゃ恥ずかしくなった。 「エッセイ」は日本語としての「エッセイ」という無二の意味を持つ。「essay」でもなければ「随筆

          果たしてこれはエッセイなのか