見出し画像

チート反対派がチーターを面白ネタにした動画を作ってお金を稼ぐのは是か非か

あらゆる対戦ゲームにおいてチート、またそれを利用するチーターは非常に厄介な存在として認識されています。

チートは主としてゲーム会社が設定したルールを外部プログラムによって逸脱し、想定外の機能を使うことで対戦だけでなくビジネス(ゲームの収益)にも甚大な影響を与えます。

プロゲーマーなどトッププレイヤーを始め、ほとんどすべてのプレイヤーがチーターを忌み嫌っており、たいていゲームの規約にも使用の厳禁が明記されていますよね(警視庁のサイトにも注意書きが)。

その業の深さは底知れず、一度手を染めればゲームからは永久追放され、コミュニティからは一生許されない罪を背負うことになります。時効や更生といった許しの概念は基本的に存在せず、別のゲームや別の名前で活動しても慈悲はありません。

チート/チーターに対してはこのような認識が一般的かと思いますが、一方でチート/チーターに遭遇した人たちがそのことをネタにした動画などを制作し、公開してもいます。YouTubeやTwitterで見かけた人もいるのではないでしょうか。

ここで僕が問題提起したいのは、チート/チーターを絶対に許さず不快な思いをさせられているチート反対派が、チート/チーターを面白おかしく取り上げて動画にし、さらに広告などを設定してお金を稼ぐのは是か非か、ということです。

もし是だとしたら、どんな理由で是となるのか。もし否だとしたら、それはなぜか。

今回、ぜひ読者の皆さんにも考えてみてもらいたく、ありうる理屈を議論していきます。その中で、皆さん自身の考え方を持ってもらえれば幸いです。

ちなみに、記事の最後に自分がどんな考え方を持っているのかを確認できるフローチャートを掲載しています。

あらかじめ申し開いておきますが、この記事で取り上げる問題について「こうすべきだ」「こうすべきではない」といった規範を示すことはありません。僕の考え方は最後に提示します。

チート反対派の立場

チート賛成派にとってはチート/チーターをどのような形で扱っても取るに足らない問題なので(全肯定ですね)、議論はすべてチート反対派を前提に行なっていきましょう。

チート反対派にも多様な考え方があると思いますが、共通点として、チート反対派はチート/チーターの蔓延によってまともな対戦が成り立たないことがないよう、そしてゲーム会社が損害を被ることがないよう望んでいます。

それは、設定されたルールの中で楽しむことが最も大切だと考えているからです。チート/チーターはその状況を破壊するため、けっして受け入れられません。

チート反対派の中にはチート/チーターをどういう形であれネタとして扱ってはならないと考える人がいるでしょう。これを無視主義と呼ぶことにします。

無視主義の人はチート/チーターを見つけたら即通報して言及もネタにもしないことを最善とし、チート/チーターを取り上げたあらゆるコンテンツを許容しません。

他方、チート反対派でもチート/チーターを通報はしつつネタとして扱ってもよいと考える人もいます。こちらは許容主義です。

許容主義の根拠としては、おそらく「チート反対派はチート/チーターに苦しめられているから、その加害・被害を減らすため、そして鬱憤を晴らすためにネタとして取り上げていい」とするのが多数派でしょう。ネタにするのは被った苦痛に対する数少ない抗戦や慰めの手段だ、ということです。

それでは、許容主義の人はチート/チーターをどんな種類のコンテンツにでも利用していいと考えるでしょうか。より理解を深めるため、次にコンテンツの方向性について考えます。

※以下で「チート反対派」と言うときは注釈がない限り許容主義を指します

チート/チーターを取り上げるコンテンツの方向性

チート/チーターを扱うコンテンツには、チートは禁止されているから使ってはいけないし、チーターはすぐにゲーム会社に通報すべきだと周知するような方向性があります。啓発コンテンツと呼びましょう。

また、チート/チーターの奇想天外な機能や動きを面白おかしく取り上げ、楽しむためのネタとして扱うような方向性もあります。こちらは娯楽コンテンツと呼びましょう。

ただし、娯楽コンテンツは同時に「チート/チーターはよくないことだ」というメッセージが含まれていることが多いので、啓発を兼ねている場合は啓発娯楽コンテンツと呼び、啓発の内容が含まれない場合は純粋娯楽コンテンツと呼ぶことにします。

こうして見ると、皆さんそれぞれでコンテンツの許容範囲が異なるはずです。もう少し検討するため、各種コンテンツがどのような影響を与えるかを見ていきましょう。

コンテンツはどんな影響を与えるか

啓発コンテンツはチート/チーターをダメなものだと知らしめようとしています。なので、プレイヤーはチートを使うことを躊躇し、チーターをよくないことをしている人だと捉えるようになることが見込まれます。

娯楽コンテンツはチート/チーターを面白おかしいものとして表現します。チート/チーターが面白く楽しいもののように見え、楽しいチートを使ってみたい/チーターは面白い人だと思うプレイヤーが出てくるかもしれません。

純粋娯楽コンテンツの場合はその影響が大きいように思えます。一方、啓発娯楽コンテンツであれば、チート/チーターを面白おかしく扱いつつも「チートはダメ」と啓発するので、チートを使ってみようとする人を抑止する効果があると考えることができます。

ですが、啓発娯楽コンテンツでも主たる内容として純粋娯楽コンテンツが含まれるがゆえに、チートを使ってみたい/チーターは面白い人だと思うプレイヤーが出てくる可能性は否定できません(啓発コンテンツでも興味をかき立ててしまう可能性はありますが……)。

以上のように、娯楽コンテンツはチート反対派の主張や望みに反する可能性があるわけです。たとえ日頃の鬱憤を晴らすためでも、その動機や啓発メッセージを明治していたとしても、ビジュアルなどの表現の力によって「チート/チーター=面白い」という連想が無意識に宿ってしまいます。

もちろん、これらの影響には多少があり、データがない限り、その影響がどれくらいなのかは自身がどう考えるかによります。例えば、コンテンツを受け取る側のリテラシーが充分に高いとするなら、チート/チーターに関するどんなコンテンツを作っても問題ないと考えられます。

発生する収益は何の対価か

ここまでの議論を延長すると、チート/チーターをネタにしたコンテンツでお金を稼ぐことをどう捉えられるかが見えてきます。

お金を稼ぐというのは、基本的には何かを提供したことの対価です。そこで、啓発コンテンツと娯楽コンテンツが何を提供しているのか、それによって得られる収益が何の対価なのかを考えましょう(マネタイズの手段としては販売や広告などがありえます)。

まず、啓発コンテンツによる収益は、チート/チーターの撲滅に貢献していることの対価と捉えることができます。

娯楽コンテンツはどうでしょうか。純粋娯楽コンテンツの場合、発生する収益はチート/チーターを面白ネタとして楽しませたことへの対価となります。

啓発娯楽コンテンツの場合、発生する収益はチート/チーターの撲滅に貢献していることへの対価である同時に、チート/チーターを面白ネタとして楽しませたことへの対価でもあります。

こうすると、チート/チーターをネタにしたコンテンツでお金を稼いでもいいと考える有償論者と、稼ぐのはよくないと考える無償論者が出てくるでしょう。啓発コンテンツならOKで娯楽コンテンツならNGという部分有償論者である場合も。

あるいは、啓発コンテンツは制作していいし収益化もOKだけど、啓発娯楽コンテンツは制作だけOKで、純粋娯楽コンテンツは制作も収益化もNGという考え方の人もいるはず。

さて、いよいよ議論が核心へと迫ってきました。

自分の考え方を導くために

改めて、問題を提示します。

皆さんは、チート反対派がチート/チーターをネタにし、そのコンテンツで収益を得ることをどう考えるでしょうか。

ここまでの議論の流れを考えると、娯楽コンテンツが鍵となります。しかし、娯楽コンテンツでお金を稼いではいけないとするのは尚早です。異なる考え方も充分に妥当だからです。

例えば、コンテンツが人の行動に与える影響は極めて小さい(と思う)し、観る人はチートが悪いことだと分かっているはずなので、どんなコンテンツを制作してもよくて収益化も問題ない、と考えることができます。

あるいは、そもそもチート反対派の主張に立てば、チート/チーターを利用して面白おかしいコンテンツを作ったりお金を稼いだりするのは考え方と行動が矛盾している、と考えることもできます。

軸となるのは、チート/チーターをネタにしてどの種類のコンテンツを制作してもいいのか、そしてそれらを収益化していいのかという2つの論点です。そのうえで、チート反対派の主張をどこまで遵守するか、コンテンツの影響力をどう評価するか、制作する側と閲覧する側でどう違うか、といった事柄が考え方に影響を与えます。

ということで、下記に簡単なフローチャートを掲載しておくので、ぜひ皆さん自身でこの問題について考えてみてください。

画像1

余談として

ちなみに、僕は部分有償論者です。啓発コンテンツは制作も収益化もOKで、娯楽コンテンツは(啓発娯楽、純粋娯楽とも)制作も収益化もNGだと考えています。チート反対派がいくらチート/チーターに煩わされているとしても、それを娯楽コンテンツにしてお金を稼ぐのは言動の基準が矛盾しているように感じます。

ただ、上記(+この記事での議論)は現実に存在・発生したチート/チーターをネタにしたコンテンツを対象にしています。ゲーム実況の動画は(ドキュメンタリーに近い)、これに当てはまります。

一方で、現実には存在・発生していないチート/チーターを扱う虚構の作品なら、どんなコンテンツでも制作も収益化も気にしません。過去に僕は『チート・アポカリプス』を書きましたが、これは虚構の作品です。

ただ、虚構の作品まで考慮に入れると議論があまりに込み入ってくるので、ここで深入りするのはやめておきましょう。

現実に存在・発生したチート/チーターを虚構の作品の素材にすることはどうか、という話になり、これは実際の犯罪映像を虚構の作品の素材にすることは許されるかどうか、虚構の作品のために使用自体が違法となる薬物を使うのはありか、みたいな話になってきます(犯罪行為に見せかける演技・演出はOKですよね)。

薬物と違って難しいのは、日本ではチートの使用自体は違法ではないことです。チートが誰かに迷惑や実害を及ぼすからよくないとすると、誰にも迷惑や実害を及ぼさない状況でチートを使用するのはOKか、またそれを動画(特に娯楽コンテンツ)の素材とするのはOKかという問題が出てきます。

実際にはチートを使用して誰にも迷惑や実害を及ぼさないケースはかなり限られます。ゲーム会社によってはそういう状況で使用してもゲームプログラムへの攻撃として処分を下すかもしれません。

と、すでにややこしい議論が発生していますね。いずれにせよ、自分がチート/チーターに対してどういう考え方や判断基準を持っておくかが大切です。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます! もしよかったらスキやフォローをよろしくお願いします。