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ゲームに関心はないけどゲーマーを応援したい、そんな企業でもeスポーツ市場で成功できる?

eスポーツ業界でよく言われるのは、ゲームを愛していない企業がeスポーツ市場に参入したところでコミュニティ(ゲーマー)にそっぽを向かれてうまくいかない、という話。

これにはたしかに真実味があるし、概してそうではあろうとは思うものの、参入企業の顧客あるいはエンドユーザーはゲーマーであり、ゲーム自体(あるいはゲーム会社)ではない。だから、「ゲームを愛していなくとも、ゲーマーを愛しているのであれば事業はうまくいくのでは」と疑問に思った。

皆さんはどう思うだろうか。たとえゲーマーを愛し応援したいと思っていても、ゲームを愛していなければうまくいかない? あるいは、ゲームに関心がなくてもゲーマーさえ愛していればうまくいく?

※エンドユーザーというのは顧客の顧客を指す、つまり、当該企業のサービスを最終的に利用するユーザーのことだ。

※この記事では「愛する」を「応援したい」、「愛していない」を「関心がない」とほとんど同じ意味で扱う。また、表向きは「愛している」と言っていても本心では「愛していない」という場合は、本心のほうを採用して「愛していない」とするので「建前は~」という議論はしない。

ゲーマーに関心がない企業

ゲーム会社を顧客とするのであれば、その会社のゲームを愛していることは不可欠だと考えられる。eスポーツ専門会社のウェルプレイドがあるモバイルゲームの仕事を勝ち取るためにゲーム会社に赴いたとき、代表2人がランキング上位になるほどやり込んで臨んだことは有名なエピソードだ。

一般に、ゲーム会社と仕事をするうえでは、どんな企業であれその会社のゲームを好きでなければ相手にされないことが多い。では、もしゲーム自体は好きでも、そのプレイヤーには関心がない企業だったらどうか?(ゲーマーに関心がないと公言する必要はない)

僕は、ゲーム会社からの印象はよくても、肝心の仕事は失敗する可能性が高いと信じたい。なぜなら、ゲーム会社の顧客はゲーマーであり、ということは当該企業のエンドユーザーもゲーマーだからだ。ゲーマーに関心がない企業がゲーマーに愛されるサービスを作れるだろうか。

うまくいく場合もある。別にゲーマーのことを愛していなくても、ゲーマーにとって使いやすいサービスをゲーム会社に提供することはできるからだ。しかし、うまくいかない場合のほうが多いのでは、と想像する。

エンドユーザーではなく顧客がゲーム会社ではなくゲーマーだったとしたら、まず間違いなくうまくかないだろう。愛されるためには愛さなければならない。

ゲームを愛していなくても……?

逆の場合を考えよう。食品業界の企業Nがeスポーツ大会に協賛しようとしているとする。その企業は命を懸けてプレイしているゲーマーを応援したいと心から思っており、ゲーマー向けの商品まで開発した。しかし、ゲーム自体に強い関心があるわけではなく、大会に採用されるタイトルを担当者が熱心にプレイしているわけでもない。

この企業Nに対し、ゲーム会社を含むeスポーツ業界側の人たちはどう対応すればいいだろうか。ゲーム会社は、当該のタイトルを愛しているかどうかを重要視すると思われる。けれども、ゲーム会社ではないサードパーティが大会を主催しているとしたらどうか。そのオーガナイザーは、協賛に名乗りを上げた企業Nとお付き合いを始めるのではないだろうか。

そしてたぶん、提供される商品はゲーマーに受け入れられる。なぜなら、ゲーマーのことを心から慮って開発された商品で、担当者もゲーマーに愛されようと注力するからだ。しかし、繰り返すがこの担当者は自身ではゲームをプレイしないし、ゲームの話を振られても何も答えられない(ゲームをプレイすることがゲーマーに愛される最もよい方法なのは間違いないが、愛されるための方法はそれだけではない)。

こういう企業に対し、ゲームを愛していなければうまくいかないと警鐘を鳴らし、ときには排除すべきなのだろうか。心からゲーマーを応援したい企業であったとしても?

ゲームを愛することとゲーマーを愛すること

直感的には「ゲームに関心がないのにゲーマーを愛せるわけがない」と考えてしまう。でも、そうは限らない。

僕は能にはまったく関心がないが、能を演じ伝え残そうとしている人には共感する。同じ心の動きはゲームとゲーマーにも当てはまりうるだろう。たとえば、eスポーツ市場に進出してきた某企業(の担当者)がゲームを愛しているとは僕には露ほども信じられないが、ゲーマーや関連企業の役に立ちたい、応援したいと心から思っていることは信じられる。

だから、ゲームを愛することとゲーマーを愛すること、これらがまったく別の事柄であると認識する必要がある。ゲームが好きだからといって、必ずしもゲーマーを好きであるわけではない。反対に、ゲーマーの役に立ちたいからといって、必ずしもゲームに関心があるわけでもない。

しかしおそらく、どちらかと言えば、ゲーマーを愛していなければeスポーツ市場で成功するのは難しい。事業にとってはエンドユーザーが最も大切な存在だ。だとすれば、eスポーツ業界の人がよく言う「ゲームを愛していなければうまくいかない」というフレーズは、言葉に表れていることとは違うことを意味していると考えられる。

これはたぶん、ゲーマーを愛していなければ成功しえないという現実を前提に、ゲームを愛している企業はゲーマーも愛していることが多くて成功しやすく、ゲームを愛していない企業はゲーマーを愛していないことが多くて成功しにくいという経験則から出てきたフレーズなのではないだろうか。

eスポーツ市場はゲーマー中心主義

企業がeスポーツ市場に参入するうえでの理想は、ゲームを愛しゲーマーを愛することに違いない。けれども、それぞれが別の現象である以上、両方を望むのはなかなか難しい。僕はゲームもゲーマーも好きであってほしいと思うが、少なくともゲーマーを応援したいと心から考えていない限り、事業の成功には遠いと思われる。

そしてゲーマーを好きであれば、ゲームも好きにならざるをえなくなる可能性が高い。なぜなら、すでに書いたように、ゲーマーはゲームを好きな人を好きになる傾向が強いからだ。人はほかの何よりも人に共感するようにできている。

「ゲーマー中心主義」は、eスポーツ市場の特徴を端的に表している。eスポーツ市場がゲーム市場とは別個に語られるのは、これがゲームよりむしろゲーマー中心の市場だからだ。eスポーツがマスメディアに取り上げられるときも、基本的には中心に人(ゲーマー)がいる。企業が参入するときも、ゲーマー向けの商品やサービスが大半だ。

だから、この記事の結論としては、eスポーツ市場に参入しようとしている企業がたとえゲームに関心がなくても、真にゲーマーのことを応援したいのあれば成功する見込みがあるということになる。もしかしたら、そこからゲームも好きになってくれるかもしれない(「ファミコン世代で~」という人にもひとまず目を瞑ろう)。

それと、ゲームを愛していると豪語していても実はゲーマーには関心がない企業も出てくるだろう。そういう企業には、eスポーツ市場がゲーマー中心主義であると耳元で囁く必要がある。ゲームが好きなら、ゲーマーにも関心を持ちうるはずだ。

とはいえ今後(そして進行形で)、eスポーツ市場には関心があるがゲームとゲーマーには興味がないという企業がいま以上にたくさん現れてくる。そういう企業には「成功するのは難しい」と突きつけるべきだと僕も思う。

でも、その興味は大切な最初の一歩。そこからどうお付き合いを深めていくかはeスポーツ業界側の手腕が問われる。

※ゲーム市場はゲーマー中心主義ではないのか? どちらかといえば作品とクリエイターが中心で、プレイヤーが取り沙汰される機会は少ない。

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