グリとグラとグレの歌

グラーツ・オルマンは修道院のわきの路上にいた。あるいは裏の倉庫にいた。あるいは庭に。もう、どこだっていい。そこで、東方の国々で挨拶に用いられる歌と、その詩を構想していた。音楽は建築であるという。誰が言ったかは忘れた。オールド・モン・パイソンがパイナップルをしたためていたとき(パイナップルはしたためるものだろうか?)、頭の中で邂逅した物語、その導入部分があの歌であったというのだ。笛がピーヒョロロと吹く、アレである。ヒッポッポ、ピヒョロ、ピヒョロ、ピヒョロロロ〜。全然伝わらないな。オルマンは諦めて倉庫の中に入った(あるいは出た)。藁の中にうずまって、隠れるつもりなのだ。彼はこの文章で、たくさんの風景やしきたり、こだわりに触れてきた。人々がもたらす笑いや熱気、落胆といったものが、それぞれに固有の階調を持ち、色彩を持ち、そして意味を持つ(らしい)のだが、彼はそういったものに少々胸焼けしていたのだ。世界は灰色だ。安直な文句だろうか。ま、そうだな。世界はどこまでも伸びているようで、どこまで行っても同じというか、つまり、どこにも伸びていない。そんなイメージの中で彼はずっと作文してきた。いや、それだけでなく、生きてきたのだ。スマートな絵本に登場するグリとグラのような人生。(ちなみに私は『グリとグラ』(という題で合ってるだろうか?検索して調べる気はないのだ。ふふ。)を読んだことがない。それでも世界は回っていけるから)。そこには歌が書かれていたはずだ。グリの歌。グラの歌。グラーツ・オルマンはいま、藁の中で必死にその歌を探している。新しい列車に、新しい目的地。運ばれるのは我々であり、つまり歌だった。時代によく響く、示し合わせた階調と、その理解者たち。私もオルマンも、この土地にはいない不思議な旅人のような気分で、他人の「聴いたことのないような音楽」を聴くのである。それははたして音楽か、こう問われるのだ。いつか、音楽になるのだろう。バルコックの修道院ではフレチェらが祈祷している。音楽のない地図の上の建築物、我々の通過する風景は、森林と都市の区別の付かない、詩歌にも似た祈りであった。この土地を捧げた混迷する隊列の末日。明るい休息。


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