父と娘のIQとギフテッド、そしてMENSAへの道 その1 私の幼少期

IQとギフテッドを絡めて娘の育成論を語る上で詳細な事まで書いていくとなると私の幼少期の頃から語る事になってしまいます。

私がどういった遊び=勉強と言う環境で育ち、それをどう応用していったか話していきたいと思います。

IQが高いバカがどのように自分を犠牲にしつつ娘へ引き継がせていくかのお話を何回になるかわかりませんがマガジン形式で書いていければと思っております。

・ 私の幼少期について


以前にも少しだけお話したことと重複する事もありますのが
「1歳にしてPCの使い方を覚えてしまった娘と父の1才前後と比較」この記事でもありましたが
IQが148と言うスコアが分かったのは5歳になってからと聞かされておりました。
先天的な数値は上記の通りになりますが、スコアを上げる後天的な訓練で170まで上がったことはあったそうです。

また、私には愚弟もおりますが……。私には及ばないまでもIQは120と言う数値だったようです。
兄弟揃ってIQのスコアは高くはありましたが、私と愚弟では考え方、性格は真逆になります。

常に理想を追い求めてベストな答えよりベターな選択をして最適解を考え続ける兄と
常に悪とまでは行かないものの、常にグレーな事をしている愚弟
言葉にすると、まさに「善と悪」と言えば解り易いでしょう。
母に似た私と、父に似た愚弟と言えば以前に書いた記事からも察して頂けると思います。

148以上>170未満の私の思考は120のスコアだった愚弟曰く
「思考の速度が速すぎでついて行けない……。」との事も愚弟は言っておりました。

また、私が3歳になった頃、何故か4歳児達が通う学年で所謂飛び級的な感じで通う事になった事を覚えいます。
どういう経緯でそうなったのか私的な考察で話させていただきます。

憶測ではありますが、能力的に考えれば4歳児相当だったと言う事と幼稚園側の思惑が一致した結果だったのでは?と思います。
時代背景的には団塊Jr世代でベビーブームで子供の人口は多くIQの高い園児も教育できるとかの実績が欲しかったのかもしれません。(またはそう言ったクラスがあったのかもしれません)
仮に私の考察通りだったとしても、4歳児クラスに1歳下の3歳児が1人ポツンと居るんですから、そりゃーイジメの対象になりますよねぇ……。
この幼稚園では楽しい思い出はまったくありませんでした。
常に園内では泣いていた記憶だけは鮮明に残っており、私も当時は泣いて情緒不安定になっていた事は間違いないと思いますが、その部分とこの幼稚園では駄目だと即決英断をした祖母によりほんの短い期間(数か月)で退園する事になりました。

次回予告

こんな感じで、私の無駄に高いIQとそれをどう付き合っていったか?
本格的に小学校お受験ルートの流れになっていきます。


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