オールド・ブルー

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。

ここ数日、毎日憂鬱だ。横たわって何もできない時間が多い。
理由はなんとなくわかっている。けれど言語化するのは、怖い。向き合わないといけないような、避けていたものとむりやり向き合わされるような感じがするから。そもそも言語化自体上手くできないかもしれないけれど。書き記して楽になるといいと祈って、書き留める。

選ばれたい人に選ばれたいという気持ち。好きな人に愛されたい気持ち。自分にとって特別な人の「特別」にしてほしいという、気持ち。
最近知り合った友人(と呼ばせてほしい)がいる。その人と話していると、ほんとうに楽しい。すごく気が合う感じがして、LINEもたくさんしてしまう。既読が遅いと不安になる。自分からばかり連絡をしている気がして、求められたいと思ってしまう。
他の人と仲良くしているところをみると苦しくなる。自分でも少し不思議なのが、その人が確実に特別に思っているであろう旧友と話している時は何も思わない。けれど、同じタイミングで知り合った共通の友人の1人と話しているところをみると、胸が締め付けられる。私の知らない2人で話している時間があるのかと想像して苦しい。ラフなノリがハマって気楽に、楽しく話す姿が目に浮かぶからかな。こんなメンヘラみたいな思考の私には絶対できないから。きっと、羨んでいる。
その子より私を選んで欲しいと思っているのだと、思う。友達のどちらの方が大事なのかとか、順位とか、気にするだけ不毛だ。わかっている。
なるべく、2人きりで話したいと思う。その人は、私の所有物ではないのに。
そして、こんな重い気持ちがいつか伝わって気持ち悪い、と嫌われるんじゃないかという、恐れ。
わかっている。全部異常だ。勝手な依存。これ以上は、良くない。

小学生の女の子がトイレで2人、手を繋いで「私達、親友だよね?」と確認する瞬間があるだろう。
それって2人が小学生だから女子って小さい頃そういうメンヘラ起こす子いるよね、と懐かしいような、身に覚えのあるひとは少し恥ずかしいような気持ちでみていられるのであって、いい歳してそんなことを考えているのはただのホラーだろう。見苦しい。重い。全部、わかっている。

「愛されたい」とか「認めてもらいたい」という欲求は煩わしい。
どうしたって、他人の気持ちはコントロールできないとわかっているから。「私を1番にして」と縋れるほどもう子どもじゃない。そんなことしても、上手くいくわけもないと。
愛されない人間は、選ばれない人間は、じゃあどうしたらいいんだろう。
私は昔からそういう気持ちを抱えやすい傾向にある自覚があって、小学生だとか中学生の頃、1番の友人の不在を想っては自室で横になり、音楽を聴いて、埋まらない寂しさを慰めることが幾夜もあった。
もう慣れたと、大丈夫だと、そう思っていたのにな。
欲求も感情もぜんぶ、殺して仕舞いたい。

程度の差はあれど、そういう気持ちって人間誰しもが抱えているはずだろうと勝手に思っていて、ならば満たされない人間は、どうしたらいいんだろう。この気持ちは、どこへ向かうんだろう。
空虚だ。

まだ胸を張って大人と言える年齢ではないが、これだけ生きていればわかる。
こんな気持ちを抱いたって何も意味がないこと。これだけ執着していたって、いつかはきっと疎遠になって、こんな気持ちも忘れてしまうこと。
じゃあ今のこの永遠のような不安と憂鬱は、どこへいくんだろう。
早くいなくなってほしい。お願いだから。もうぜんぶ、ぜんぶ、なくなりたい。

ー生きるとは、諦めることだ。

これは私の大好きな言葉で、いつも、そのとおりだと思って生きている。
努力したってどんなに願ったって手に入らないものはあって、それは何も自分だけではないのだ。
早くぜんぶ諦められるくらい、大人になりたい。自分が何も持っていないとは、思わないから。
手に入らないものに縋るのはもう、終わりにしたい。疲れた。苦しいのはもう、嫌だ。

はやく幸せになりたい。健常者になりたい。現状に満足できるようになりたい。
こんな気持ちは、全て忘れたいよ。ねえ。


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