はじまりを思い出す。

そもそも何でこんなにタロットにハマったかねぇ。
と、ふと思った。

結果から言うと、自分の中での対話を促してくれるものなんだなって感じたからだと思う。



始めた当初は、まぁね。
周りに日本人なし(当時、アラスカ離島にいましたー。)
英語ばかりで、心おきなく日本語で話せる機会も少な目。

かといって、日本語で思う存分話していいよ、って言われても。
やっぱり気を遣うよ。聴いてるもなるべくだったら明るい話題に触れたいだろうし、心配させるのも嫌だしさ。



そんな中で、タロットに出会って。
最初に出会った本が良かったのかもしれない。


他の記事?日記的投稿?でも紹介しておりますが。この本です。




この本の中にある、めっちゃいい言葉。

思考ツールとしてのタロットは当たるのではなく思い当るのです。

思考ツールとしてのタロット / 米光一成



そう、このワードから、タロットに触れる入口に立ったわけですよ。

この前から、Yogaで身体を扱ったり(いわゆるポーズや呼吸法ですな)。
そこから一歩踏み込んで、心を見てみよう!みたいな流れには触れていたので。


そんな、ちょっと面倒くさそうな私には、この米光さんの一言と、タロットの使い方がとってもしっくり来た訳ですな、きっと。


当たるのではなく、思い当る。
これって、よーくよーーーーく味わってみると。




受け身じゃなくって、積極的じゃないですか?



「当たる」っていう雰囲気はどこか、タロットで読んでもらう人は、どこか待ちの姿勢な感じがするんです。
あ、あくまで個人談ですよ。

でも、かたや「思い当る」は、完全に読んでもらう人も、なにかヒントになるものをその人の中で探していますよね。

こうやって、”私も参加して今を切り開こう”感が好きなんです。
本人さんも参加してる感が好きなんです。


誰かに答えをくれと、口を開けて待たない。
積極的に、今を良くだったり、現状よりも心がラクな方向を探ってみる。

やっぱりこの、主体性にさ、シンクロニシティも味方してくれるんじゃないかなって思う訳です。



あ、ヒーリングの本とかを読んでいても、書いてありますよ。

見えない世界の方々も、学べる方向性やヒントを示したがってる。
でも、悩んでいる本人が真剣に望まないと、見えない世界側も何もヘルプを出すことはできないんだよ、って。
(こんな書き方ではないですが、まぁこんなニュアンスです。)


だから、やっぱり当事者が参加して思考を巡らせられるように、タロットを使いたい。


私が私のためにするリーディングでも。
誰かが声をかけてくれた時にも、その誰かも思考を巡らせられるように。



タロットに自主的に触れる人が増えて、自分の中での対話の枠を広げたい。
思考の癖に一石を投じてくれそうな要素が、タロットにはあるから。



こんな風にまとまって、最初は思っていなかったけど。
きっと、言葉にはなっていなくとも、この思いでタロットに触れ始めたんだろうな、と思う。


何年たっても、思いは同じ。




ふと今日は、はじまりを思い出したのでした。









最後の最後までお読みいただきまして、ありがとうございました! 良い息抜き時間になりましたように。