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物理的な距離だけで決められないものが「一緒」

最近、「あしなっすの1週間」っていうYoutubeチャンネルにハマっている。

 
 
99歳のおじいちゃんと暮らす、芸人あしなっすさんのVlog動画が主流。
とっても、あったかいんですよね。


 
 
 
あしなっすさんほどではないにしろ、一人暮らしの祖父の元に交代で通った経験がある。


1日に数時間通って、掃除をしてご飯を届ける。
それだけでも、優しい言葉を使う事、じっくり見守ることが難しかったのに。

それよりもずっと、一緒にいる時間も長く、気を配る範囲も大きいと思うと、あしなっすさんの器の大きさを感じさせられる。
 
 



もっと優しくできたよなーっていう後悔からなのか。
それとも、人の優しさを感じられるからなのか。
なぜか、動画から目が離せない。
(こういうところに、カギがある事多々あり。)
(後で内省&ほじくる案件ですな。)
 
 



 
「一緒に居る」っていうのは文字通り、物質的に同じ空間にいることも含まれると思う。

でもそれだけで、「一緒に居る」が成立するかというと、完全にそうとも言えない気がする。
 



 
物質的に一緒でも、寂しさや距離感があることだってある。
 
「お互いを思っている」って感じ合える時が、いわゆる「一緒」っていう時なんじゃないかと、ふと思った。
 
 
 
遠距離恋愛でも、同じ想いで気に掛け合っている瞬間は暖かいだろうし。
物理的な距離だけで決められないものが、「一緒」なんじゃないかなぁと。
動画のあったかさに触れて、しみじみする本日。



 
相手を思う気持ち。



 
 
昔の日本では、「愛=愛欲のそれ」って
いう、仏教の影響も入った感覚が主流だったようですけど。
キリスト教が入って来て、「愛=思うこと」として日本では広められたらしい。
 
 
今読んでる、木村藤子先生の著書にそうあったよ。


 
 
仕組みが男女で違うし、占いの命術から引っ張ってきた性質、育った家庭環境もそこに影響して、受け取り方も伝え方もチグハグになる時もあるけどさ。
 

 
一緒にいるって愛で。
一緒に居たいって思うのは、相手を思っているからで。



 
 
忘れずに過ごさないとなーって、思うのでした。


きっと、それを沁み込ませるために。
あしなっすさんの動画から、目が離せないのかもしれない。


最後の最後までお読みいただきまして、ありがとうございました! 良い息抜き時間になりましたように。