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【 発達障害と診断されるまで(第2話) 】

第1話では私が初めて精神科を受診した日から『大人の発達障害』を知り、「自分は発達障害ではないか」と疑いを持つようになるまでのことを記事にしました。
第2話はその続きで、発達障害の診断を受ける日までのことを書きます。

インターネット上の掲示板で『大人の発達障害』の存在を知った私は、発達障害とはどういうものかを検索するようになりました。
調べれば調べるほど、自分の生きづらさの根源が発達障害にあるのではないかと、確信するようになっていったのです。
インターネット上の情報や当事者の書いた本を読み漁った結果、私の特性に最も当てはまるのは、『ASD(自閉スペクトラム症)』(当時は『アスペルガー症候群』、『高機能自閉症』などと診断されていたものです)だと思いました。

当時の主治医は私を境界性パーソナリティー障害と診断し、ハラスメントを繰り返していた医師でした。
この医師は患者から病名や薬の話題を出すと、途端に機嫌が悪くなります。
それでも私は聞かずにいられませんでした。
「私は発達障害ではないかと思うのですが……」と恐る恐る尋ねてみたら、その理由を聞かれました。
いくつか自分の困りごとを挙げたところ、「そんな話は聞いたことがない」と言いながら、明らかに動揺している様子が見て取れました。
そして一言、「発達障害だとしても処方は変わらないんだから、どっちでもいいじゃない!」と捨て台詞を吐かれて、その日の診察は終わりました。

自宅に向かう車の中で、私は転院することを決めました。
そして帰宅直後に初めて家族の反対を振り切って、転院先の予約を取ったのです。
そのくらい私は精神的に追い込まれていました。

それから1か月後の2008年5月に、現在の主治医による診察を受けました。
今までの経過をまとめたものを読んでもらった結果、「発達障害の疑いが濃い」と言われたのです。
その後の診察や心理検査の結果から、正式に発達障害(そのうちの「広汎性発達障害」)と診断されました。

また処方内容の見直しが行われた結果、日中の倦怠感や眠気などが改善されて、格段に生活しやすくなりました。
朝起きて夜眠れるようになり、何年も続いた過食嘔吐がおさまりました(1度も再発していません)。

このとき転院しなかったら、私は今この世に存在していないと思います。
不適切な医療により、私は命を落とす寸前でした。
また医師から受けたハラスメントによる心の傷に、私は長い間苦しめられてきました。
2023年4月に施された治療により、ようやく私はこのトラウマを手放すことができたのです。

ここまで本当に長い道のりでした。
今でもつらい日や苦しい日、悲しいことや疲弊することは多々あります。
それでも私は思うのです。
今が一番幸せだと。
その思いがある限り、どんな困難にも向き合い、乗り越えていけると、私は信じています。
明日はどんな日になるか、それは誰にも分かりません。
だからこそ私は、今日一日を精いっぱい大切に生きたいと思っています。

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