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父と私

 最近は東北でも、両親の暮らす関東でも地震が頻発していて、そのたびに父と連絡を取り合っています。
「地震あったけど、大丈夫だった?」
「大丈夫。ありがとう」
 普段は短い安否確認だけですが、10月8日夜に関東で起こった震度5強の地震では、いく分長いメッセージを送り合いました。翌朝、ニュースを見て連絡すると「線路の安全確認で電車が運休して、上野駅で足止めをくっている。夜勤明けの身体にはこたえるけど、自分も、茨城の自宅にいる母も無事だよ」。父からのラインで一安心したことを覚えています。
 普通の親子のような連絡を取り始めたのは3年前。それまでは「母の再婚相手」と「結婚相手の連れ子」という平行線の関係で、私には仲を縮める気持ちは1ミリもなく、必要性すら感じませんでした。
 2018年秋、父が十二指腸潰瘍で緊急入院しました。
 自宅の玄関で倒れていた父を、仕事から帰った母が見つけ救急搬送。すぐに集中治療室へ運ばれ、十二指腸に開いた穴を縫合しましたが、潰瘍からの出血で、体内の血液は正常時の半分しか残されていませんでした。
 連絡が来たのは、容態が安定し、意識が戻った日の夜。慌てて母に電話し、見舞いに行くというと、自分の家庭を持つ私に「心配や面倒を掛けたくない」と父がいっていると話します。きっと父の病状を知ったら私が飛んで来ると考えて「落ち着いてから連絡するように」と母に指示したのも父でした。
 母は誰のことを話しているのだろう。
 思考の線と思い出の線が絡まり、すぐには理解できませんでした。
 小学4年生で親子になってから、初めて見えた父の「父親」らしい側面。同時に、父が私を「父の病状を知ったら飛んで来る」人間だと思っているのだとも知りました。
 今年3月には父方の祖母を失ったことで、互いをつないでいた「糸」を確認したような気もします。
「今度の旅行どうしようか?」
 コロナも落ち着いてきた今は、2家族合同旅行の話題で持ちきりです。

2021年11月1日提出

テーマは「父」でした。
何度書いたか忘れるほど書いたテーマですが、大体いつも同じことを書いてしまいます。たくさんあるはずの思い出が思い出せないという、記憶力の問題もあります。思い出の中に、他人に読んでもらうほどの何かを見出せないという、私自身の眼の問題もあります。

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